小学校の水泳授業の指導を協力し学童の泳力向上、教師の負担軽減のボランティア活動
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2011・1・22 ニューイヤーマスターズ(なみはやドーム)
朝一の紀勢線(6時54分)で行きながら大阪のなみはやドームに着いたのが10時半。
レースは22日(土)23日(日)の2日間、当方はそのうち初日の22日だけで出場種目は25mバタフライと200mバタフライ。
流石に429チーム2423名の参加と言うだけあって選手控え室の体育館は、出場者やアップ中の選手、それに応援者がいないにも拘らず多くの人で埋め尽くされている。

何とか居場所見つけて荷物を置いて25mバタフライに備えてアップに行く。
多くの選手がアップ中に混じって少し泳いでおく、未だ体がなんとなく重く感じる。

其れと遅く着いたためメインプールでレース前なら可能だった飛び込み練習が出来ていない、日ごろの練習では飛び込み禁止だから、ぶっつけ本番の飛び込みとなった。
このとき昔の仲間のM氏と出会う、お陰でこの日熊野チームで唯一人の参加で何かと便利が悪いのが助けられることとなる。
昔試合馴れしていた時は、ワクワクしながら出場種目待っていたもんだが、20年以上たっての復帰以来間がないもので、なんとなくレース待つのが気が重い。
ピッチ上げて遮二無二25m泳ぎきるのが良いか、なるだけ前に大きく突っ込んで大きなストロークで泳ぐほうが速いか最後の最後まで迷う始末。
大きなストロークで前で伸ばしながら大きくかこうと思いながらレースが始まって飛び込んで浮き上がったら、遮二無二ピッチ上げてかき出していた、所がその割に進んだ感じがしない、飛込みだって満足いく訳ではない。
ついたときに電光掲示板に目をやると19秒43.
矢張り気だけあせってから回りしていたようで、せめて18秒では泳ぎたかったが、これでは来た甲斐がなかろうと言うものである。
只このクラスのトップが16秒台だから、練習次第で手が届かぬ遥か彼方というわけでもないから、一応目標ができたと言うわけである。
これが13秒や14秒なんて出されていると気が萎えてしまう。

次の200mバタフライは最後のフリーリレーの前で最終に近い、其れまで時間もてあますところだったが、先ほどのM氏のチームに合流して旧交を温めることになった。
当方水泳20年のブランク、昨秋の鈴鹿の大会がマスターズ23・4年ぶりともあっ
て、少しでも以前のタイムに近づくべくこの1年練習してみたが,思いと裏腹に記録はおいそれと回復しない。
尤もその当時だって10年20年掛かって泳ぎの形出来て来た訳だから、復帰して1年そこらで戻るはずがないといえばそうかも知れぬ、でも過って出来ていたことを思い出すだけならなんて気楽に考えていたことも事実。
兎に角以前泳いでいた泳ぎが思い出せないのである。
何かのきっかけで思い出さぬかといろいろ試みてはいるがおいそれとタイム上がらぬ。
ところがM氏のほうは昨年背泳で日本記録を出したそうである。
今は明石のコナミで毎日泳いでいるそうで、インターバル入れての相当きつい練習こなしているそうだ。
当方もインターバル練習を復活するよう勧められたが、まだまだ当方の泳ぎはそんなレベルではない。
何せ糖尿病と仲良くする運動療法用の有酸素運動がメインだから競技にレベル合わせて泳げる段階に至っていない。
しかしながら良い刺激にはなった。
随分待たされた200mのバタフライ。

只こうした大会に来た利点は他人の泳ぎで我が振り直せるところである。
勿論早い選手の泳ぎも参考になるが、実は自分のタイムに近い選手の泳ぎを見ることで,まさか自分の泳ぎそこまで酷くないと言う自負心もタイムの比較で納得せざるを得ない。
今回もまさにその典型を見ることとなった。
それで200mバタフライも最後の最後までどう泳ぐべきかを悩みぬいていた。
前半上げすぎれば後半持たずに水から腕も上げられぬ おぼれる寸前味わう地獄見なければならぬ、がゆっくり入りすぎて後半上げられぬまま悪い記録でおわるのも面白くない。
それでレース待っている時に隣の泳者にさいしょの50mどの程度で泳ぐのか聞いてみると60秒程度とのこと、所が当方の現在の力では多分ついていけばオーバーペース。
結局このレースの申請タイム一番悪いのが当方だから他人のこと気にせずゆっくり大きく泳ぐことに気を使って泳いでみようと腹を決めた。
一つには自分の持ちタイムに近い選手の泳ぎが大いに参考になったあれの反対で泳げば良い訳で反面教師ということである。
そのため手を突っ込んだ後いつもより少し長い目に前に手を伸ばして大きく泳ぐことをやってみよう、それで記録が伸びなければ其れは仕方が無いと踏ん切りをつけた。
飛び込んでレース前に決めたとおり前で手を伸ばしてゆっくり大きくかくことだけ考えて泳いでいたが、流石にこうなると余り疲れないと言うか、疲れ感じない。
50m時点で隣のコースを見ると不思議と離されている様でもないがと言ってオーバーペースとも感じない。
所が少しづつ手が前で一呼吸取れなくなっていくようで100m・150mと徐々に隣に離されていくようである。
さいごの50mは頑張って泳いだがあまりちじまった様でもない。
電光掲示板4分17秒36は申請タイムの4分30秒より13秒近く短縮はしていた。
ところがさきほどのM氏電光掲示板の途中計時控えてくれていた。
50m・55秒82 100m・2分4秒43(68秒61) 150m・3分14秒28(69秒85) 200m・4分17秒36(63秒08)
当方のレース振り見ていてくれたM氏によるとさいしょの50mはキックも蹴れて滑らかな泳ぎだったそうだが、そこから後はキックが蹴れてなく腕だけの泳ぎのようで、最後の力入れた筈の150mからの最後の50mは特に腕に頼った泳ぎであったようである。
それと25mバタフライの泳ぎもそのような泳ぎであったそうである。
この辺りは最後のタイムだけでは決してわからぬところで、見ていてもらったことに感謝である。
最初の50mまでは手を前で伸ばして一呼吸入れることに気をつけていてキックまで考えもしなかったが、自然とバランス取れていたことが不思議であった。
これからは少なくとも最初の50mの泳ぎ維持する練習すれば早いうちに4分切れると思えた。
55秒ペースの3分40秒台程度までもっていければ70-74クラスではそこそこのレースできそうだから今後の練習の方向性が見つかったことになる。
と言うことで、決して本日のレース結果が昔のタイムから見れば、良かったわけではないが、でも後味の良い大会と言うことになる。
朝一の紀勢線(6時54分)で行きながら大阪のなみはやドームに着いたのが10時半。
レースは22日(土)23日(日)の2日間、当方はそのうち初日の22日だけで出場種目は25mバタフライと200mバタフライ。
流石に429チーム2423名の参加と言うだけあって選手控え室の体育館は、出場者やアップ中の選手、それに応援者がいないにも拘らず多くの人で埋め尽くされている。
何とか居場所見つけて荷物を置いて25mバタフライに備えてアップに行く。
多くの選手がアップ中に混じって少し泳いでおく、未だ体がなんとなく重く感じる。
其れと遅く着いたためメインプールでレース前なら可能だった飛び込み練習が出来ていない、日ごろの練習では飛び込み禁止だから、ぶっつけ本番の飛び込みとなった。
このとき昔の仲間のM氏と出会う、お陰でこの日熊野チームで唯一人の参加で何かと便利が悪いのが助けられることとなる。
昔試合馴れしていた時は、ワクワクしながら出場種目待っていたもんだが、20年以上たっての復帰以来間がないもので、なんとなくレース待つのが気が重い。
ピッチ上げて遮二無二25m泳ぎきるのが良いか、なるだけ前に大きく突っ込んで大きなストロークで泳ぐほうが速いか最後の最後まで迷う始末。
大きなストロークで前で伸ばしながら大きくかこうと思いながらレースが始まって飛び込んで浮き上がったら、遮二無二ピッチ上げてかき出していた、所がその割に進んだ感じがしない、飛込みだって満足いく訳ではない。
ついたときに電光掲示板に目をやると19秒43.
矢張り気だけあせってから回りしていたようで、せめて18秒では泳ぎたかったが、これでは来た甲斐がなかろうと言うものである。
只このクラスのトップが16秒台だから、練習次第で手が届かぬ遥か彼方というわけでもないから、一応目標ができたと言うわけである。
これが13秒や14秒なんて出されていると気が萎えてしまう。
次の200mバタフライは最後のフリーリレーの前で最終に近い、其れまで時間もてあますところだったが、先ほどのM氏のチームに合流して旧交を温めることになった。
当方水泳20年のブランク、昨秋の鈴鹿の大会がマスターズ23・4年ぶりともあっ
て、少しでも以前のタイムに近づくべくこの1年練習してみたが,思いと裏腹に記録はおいそれと回復しない。
尤もその当時だって10年20年掛かって泳ぎの形出来て来た訳だから、復帰して1年そこらで戻るはずがないといえばそうかも知れぬ、でも過って出来ていたことを思い出すだけならなんて気楽に考えていたことも事実。
兎に角以前泳いでいた泳ぎが思い出せないのである。
何かのきっかけで思い出さぬかといろいろ試みてはいるがおいそれとタイム上がらぬ。
ところがM氏のほうは昨年背泳で日本記録を出したそうである。
今は明石のコナミで毎日泳いでいるそうで、インターバル入れての相当きつい練習こなしているそうだ。
当方もインターバル練習を復活するよう勧められたが、まだまだ当方の泳ぎはそんなレベルではない。
何せ糖尿病と仲良くする運動療法用の有酸素運動がメインだから競技にレベル合わせて泳げる段階に至っていない。
しかしながら良い刺激にはなった。
随分待たされた200mのバタフライ。
只こうした大会に来た利点は他人の泳ぎで我が振り直せるところである。
勿論早い選手の泳ぎも参考になるが、実は自分のタイムに近い選手の泳ぎを見ることで,まさか自分の泳ぎそこまで酷くないと言う自負心もタイムの比較で納得せざるを得ない。
今回もまさにその典型を見ることとなった。
それで200mバタフライも最後の最後までどう泳ぐべきかを悩みぬいていた。
前半上げすぎれば後半持たずに水から腕も上げられぬ おぼれる寸前味わう地獄見なければならぬ、がゆっくり入りすぎて後半上げられぬまま悪い記録でおわるのも面白くない。
それでレース待っている時に隣の泳者にさいしょの50mどの程度で泳ぐのか聞いてみると60秒程度とのこと、所が当方の現在の力では多分ついていけばオーバーペース。
結局このレースの申請タイム一番悪いのが当方だから他人のこと気にせずゆっくり大きく泳ぐことに気を使って泳いでみようと腹を決めた。
一つには自分の持ちタイムに近い選手の泳ぎが大いに参考になったあれの反対で泳げば良い訳で反面教師ということである。
そのため手を突っ込んだ後いつもより少し長い目に前に手を伸ばして大きく泳ぐことをやってみよう、それで記録が伸びなければ其れは仕方が無いと踏ん切りをつけた。
飛び込んでレース前に決めたとおり前で手を伸ばしてゆっくり大きくかくことだけ考えて泳いでいたが、流石にこうなると余り疲れないと言うか、疲れ感じない。
50m時点で隣のコースを見ると不思議と離されている様でもないがと言ってオーバーペースとも感じない。
所が少しづつ手が前で一呼吸取れなくなっていくようで100m・150mと徐々に隣に離されていくようである。
さいごの50mは頑張って泳いだがあまりちじまった様でもない。
電光掲示板4分17秒36は申請タイムの4分30秒より13秒近く短縮はしていた。
ところがさきほどのM氏電光掲示板の途中計時控えてくれていた。
50m・55秒82 100m・2分4秒43(68秒61) 150m・3分14秒28(69秒85) 200m・4分17秒36(63秒08)
当方のレース振り見ていてくれたM氏によるとさいしょの50mはキックも蹴れて滑らかな泳ぎだったそうだが、そこから後はキックが蹴れてなく腕だけの泳ぎのようで、最後の力入れた筈の150mからの最後の50mは特に腕に頼った泳ぎであったようである。
それと25mバタフライの泳ぎもそのような泳ぎであったそうである。
この辺りは最後のタイムだけでは決してわからぬところで、見ていてもらったことに感謝である。
最初の50mまでは手を前で伸ばして一呼吸入れることに気をつけていてキックまで考えもしなかったが、自然とバランス取れていたことが不思議であった。
これからは少なくとも最初の50mの泳ぎ維持する練習すれば早いうちに4分切れると思えた。
55秒ペースの3分40秒台程度までもっていければ70-74クラスではそこそこのレースできそうだから今後の練習の方向性が見つかったことになる。
と言うことで、決して本日のレース結果が昔のタイムから見れば、良かったわけではないが、でも後味の良い大会と言うことになる。
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プロフィール
HN:
がくさん
性別:
男性
趣味:
遠泳 工夫・発明
自己紹介:
ボランティア・学校水泳応援団
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
鳥人間コンテストに7回出場・ヘリ部門2位
フルマラソン5回完走
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
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