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小学校の水泳授業の指導を協力し学童の泳力向上、教師の負担軽減のボランティア活動
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第13回オールマスターズスイミングフェスティバルin三重
 
19日(1日目)
熊野川市からすさみ町までの広範囲の熊野スイミングクラブのチームで参加
 
19日は昼からのエントリーということで朝は6時前の出発。
御浜町で合流して2名で、鈴鹿のプールについたのが11時前。
他人の運転で楽させてもらった。
 
ゆっくりいったおかげで席取りに困ったがなんとか見つけて事なき。
多少散ったがなんとか総勢10名程が揃った。
 
今回アップ時間が十分とれたのでしっかり泳いでおいた。
 
出番は100mバタフライ、70歳以上の部でも4名がエントリーしている、尤もエントリー以前にクロールなどと違って、100mのバタフライでの距離に恐れなして殆ど出てこない訳だから、ある部分不戦勝と言える部分がある。
エントリータイム的には3位が良いところなんだが蓋を開けたらびっくりも良いところ。
それでも当方以外にもう1名エントリー場に来たが、高血圧で鼻血止まらぬということで招集時に棄権、あとの2名は招集場にも来ずで棄権。
この年になると持病があったりするから、日頃の練習だけでなく健康管理含めて、すべての条件乗り超えての勝負で総合力での勝負実感。
 
泳ぐ前から1位が決まってなんとも拍子抜けの金メダル。
それでも1分56秒台で泳いで最近ではましなタイム。
昔と比較にはならぬ(1分20秒)が前回は2分かかっていたから少しは戻ったことかもしれぬが、早く1分40秒程度には戻しておきたい。
 
4*25メドレーリレーが引き続いてであるが、前年度の大会で100mバタフライの直後でダメと思っていたがかえって早く泳げたこともあって、今年は気にもなtらなかった。
 
バックが4位で引き継いだが2泳の平泳ぎと3泳の当方のバタフライで3位まで持ってきたが4泳のクロールで抜き返されて今年は4位。
昨年は1位だっただけに少々残念ではある。
来年は巻き返そうと思っても、来年はシニアボランティアでベトナムに行っているはずだからリベンジは3年後となる。
 
20日(2日目)
 
本日の出番も1時半とゆっくりなので、皆より遅れての会場入り
 
本日は200mバタフライのみだが200mはやはり気が重い。。
 
ウオームアップで泳ぐがなかなか200m泳げるという感じにならない。
それでも結構泳ぎこんで、これ以上泳ぐとかえって疲れ出そうになると思いやめることにしたが200mバタフライ途中で中止しそうと弱気の虫が出てくる。
 
仕方がないので思い切り前で手を伸ばして、大きくゆっくりと泳いでみようと決めたが吉と出るか凶とでるか。
 
前回4分15秒、今回は4分5秒程度まで行きたいと思ったが、最後の50mが悪かったのだろうかえって遅くなって4分18秒とタイム悪くしている。
 
ただ順位の方は100mより200mに恐怖感じる人が多い為か出場者が減るため、タイムが悪くとも今までもメダルにはありついてきた。
 
本日も2位ということで銀メダル。
でも大会にエントリーしてくるだけに日頃の練習けっこうしているのか、出てくるような連中さんは良いタイムをもっているようだ。
 
勿論当方が20年前に出しているような200mバタフライのタイム3分そこそこなら、誰いも恐ることもなし訳でダントツの優勝だが、今のタイムではまだまだでその頃どのような泳ぎ方をしていたのか思い出せない。
 
そのレースの後少しいたがそうそうに会場あとにしたので、夜中の12時過ぎにやっと帰り付いた昨年と違って本年は7時過ぎには帰宅。
 
申告たシムでのメダルもあって、金3銀1と荒稼ぎ。
惜しむらくは10円玉程度のメダルでなくもう少し大きいのなら値打ちもあろうにと!
 
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学校水泳応援団、433、11年度・水泳大会当日

田辺・西牟婁郡水泳大会、11年度・8月11日(木)

昨年は参加者6年1名で5年が4名と僅かに5名。
その前は6時半に校長さん運転の町から借り出したマイクロバスで上富田の鮎川小学校のプール目指して出発。

それほど参加人数があった訳である。

今年は女子3名男子5名の8名    

6時30分出発。現地の鮎川小学校には7時半頃到着。

早速アップというより飛び込み練習かねてのアップ。

昨年はリレー種目が出れなかったが今年は男子がメドレーリレーにエントリー。
3レースあるうちの1レース目だから余り良いタイムというわけではない。

各人がベストで泳いでくれればそこそこ1昨年程度には泳げそうに思うんだが最初の背泳からベストから5秒落ち。
次いで平泳ぎ・バタフライは本人なりには泳いだようだがつめるまではいかず徐々に離される。
アンカーのクロールもこの中では追い込むまでにはいかず、4位争いまで。

ただ1回自分の種目までに泳げたことは良かったことだろう。    

ついで100mフリー・平泳ぎのレースが始まるがこれも誰もエントリーできず。

次の100m個人メドレーで女子登場、ここも急遽50mフリーからの変更だけに準備不足は否めず、でもどこまで自己記録短縮できるかに興味がある。

1昨年の出場者は10秒ほど短縮しての2分3秒。
今回は2分8秒の自己記録が1分58秒と今回も見事10秒短縮。
もう少し早く種目決め手背泳ぎとバタフライ練習しておけばもっと良い記録が出せたにと少々残念であった。

ついで50mの種目。

女子の50mフリーにM子。
17組中11組で出場だから5年生としては上出来。
昨年まで平泳ぎばかりでクロールはもうひとつであったが今年クロールに転向で泳ぎ見る見る良くなった上、本校では最も早いスイマーになった。
単発では42秒台もあったが彼女ほど常時43秒台はない。
もう少しきついインターバル練習が出来ていれば40秒きりも可能だっただろうがと思う。

レースはそこそこ頑張って、自己記録の42秒92.
決勝に残るには38秒きりが必要との予想通り、でも来年には楽しみである。
それと50m前半遅れながら最後には良い勝負に持ち込んでいたから100mで出してあげればよかったと思われる。
本人は文句言うだろうが。

男子の50mフリー

こちらも13組中7組目だからとても決勝狙える位置にはないんだが、この子には一発勝負的なところが会って前半突っ走っていくと後半がたがたになるんだがもし後半も足せることが出来れば相当自己記録あげることが出来そうなところがある。
もちタイム43秒台だが4・5秒短縮できるかもしれないと思わせるところがある。

レースが始まって25mまでは猛烈に飛ばしてダントツで泳いで、希望持たせてくれたんだが。ターンで失敗しておまけに後半ばてばてで抜かれだした。
結果タイムはそれでも42秒56と女子の42秒92よりましであった。
6年で最後の郡水だっただけに、日ごろ泣き言言わずに練習に取り組んでくれていたらと残念ではあった。

ただ昨年よりよくなって40秒きりに希望が出るタイム。


ついで50m平泳ぎ。

女子は12組中9組目だから今までより良い位置取り、大幅短縮が出ればと希望が出る。
そこそこ頑張ってこの組では良い勝負であったし、タイムも自己記録を1秒以上短縮して54秒31で帰った来た。
でも52・3秒    の選手が結構いた。

男子は13組中8組目だから女子おい上に厳しい。
自己記録わずかに切ったか、57秒06、泳ぎは非常に良いんだが蹴りが弱いのかカキもまだ力不足かだが、まだ5年生来年は楽しみにしてやりたいもの。

ここで昼食、背泳ぎとバタフライは午後から。    

50m背泳ぎ男子。
4組中1組目
過去1度だけ出した53秒で泳げれば少なくとも1組目ではダントツだったろうが、良い勝負で3位ぐらいで帰ってきたがタイム見て納得。
58秒03泳ぎがこじんまりしすぎてしまったようである、日ごろ出ていた55・6秒さえ出なかったのはいたい。
この子も5年生、もう一度チャレンジしてもらいたいもの。

50mバタフライ男子は5年6年と2名。
昨年急増で教えて出した子が今年も出る積もりなくたまたま泳いだら58秒台が出て急遽の参加。
もう一人の5年生は睡眠下経験ありだが泳ぎが雑でなんとも硬い力任せrの泳ぎ。
直そうとしても直らなかったため59秒台を切ることはなかった。
3レース中の2組目に2人ともエントリー。

ただ決勝に残るためには48秒台が必要だから少なくとも2組目でトップで帰ってくる必要があり自己記録との差が大きいだけに望みは薄かった。

ただ2組目では良いレースで一か八かで呼吸減らして飛ばせというって置いたが5年の子が頑張って55秒44,6年の子が57秒65とともかく両名とも自己ベスト。
ただ5年の子はまだもう1年あるからもう少し練習できれば泳ぎが良く出来て決勝に残るタイムに出来そうに思える。

この子達の親の時代にすさみの小学校和歌山に敵なしで近畿大会まで出て行っていたという、いまだ町にはそのことを懐かしむ声がある。

ただその当時に比べて生徒数が半分以下でいろんな競技種目で生徒の取り合いが起こる現状において、当時のようなことを再現することは難しかろうと思うが、スイミングに通っている子達に一泡吹かせることはしてみたいと思っている。

だからこそ学校の水泳授業以外に水泳教室を開いている訳で、いつかその努力が報われることだろう。

第16回リレーフェスティバル水泳大会(2011-3-21)

11日の東北地方太平洋地震により開催中止の意見もあったが、逆にチャリティの手伝いになるとの意見もあり、他の各種イベントが中止される中 開催に踏み切った。

大会はフリーリレー、メドレーリレーだけでなく全ての泳法においてリレーが行われる。

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バタフライなら4人ともバタフライ、背泳ぎなら4人とも背泳ぎと言う訳である。

リレーは個人種目と違いチームごとの絆が強まり、結構人気で毎年参加を恒例にしているチームも多い。

当方も役員の手伝いも在って大阪の高槻のプールまで出かけた。

片道3時間半以上かかって11時頃に大会会場に着いた。

関東でも同じ日に東京か千葉で「スイム誌」による「スイム駅伝」が開催予定であったそうだが、こちらは地震の影響で大会が中止となったそうである。

それで「スイム駅伝」の当日の役員予定者のうちいくらかの人たちがこちらの大会の応援に駆けつけてくれたそうである。
いつも役員不足で当方まで交代で副審判長などの手伝いしていたが、今回は本部詰で少々気楽に観戦もできた。

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今は日本遠泳協会の役職も引かせてもらっているが、長年関わってきた故、古い役員さんは顔なじみで、随分旧交を温めさせてもらった。

リレーフェステイバルも16回目とあっては運営も手馴れたものである。
秋の「スイム誌」の京都の「スイム駅伝」の委託での大会は矢張り気を使うこともあろうが、当協会の自身の大会ゆえ、その点も気楽なんであろう。

皆で手作りの大会やりだしたのが28年前だから随分と時間がたった、その当時中年で役員してくれた仲間もほぼ今は 年金がもらえる年齢であったり、今暫しの我慢の年齢である。

その協会も今年6月には「社団法人」化されることと成ったそうで、小さな苗木が何とか育ってきたものである。

継続は力なり、良く続いてきたものであると感慨ひとしおである。

今回は泳ぎも出来なかったが、こういった大会で他人の泳ぎ見られるのは良い参考になる。
細菌マスターズ水泳再開しだして、中々以前の泳ぎに戻らなくて歯痒い思いしている当方としては、自身の泳ぎと比較しながら、次の練習ではこの泳ぎ方でやってみようと心に決めたのが幾つかでてくる。

そうなると又新たな意欲がわいてくる、それに以前の当方の泳ぎ見てくれている仲間からも幾らか参考意見も貰っている。
こちらも次の練習ではためさなければと、大会には出場しなかったが実り多い大会と言うことになろう。

又夏には(7月)茨木高校の50mのプールでチャレンジ24時間リレー泳が開催予定との事、1キロ100円で泳いだ距離に応じて震災被災地への募金なんてことも今年は良いのではと思う。
阪神淡路の震災時には、そのようにしていくばくかの協力もしてきた。

チャリティと言えば、TVの24時間のチャリティの番組内で24時間中香里園のプールで泳ぎ続けて、募金に協力したことがあったのを思い出す。
未だ24時間のはしりの頃で、司会も欽ちゃんだったように思う。

勿論 今夏のチャレンジ24時間リレー泳でチャリティと言うことになれば、当方もバタフライで個人の6時間泳化12時完泳に挑戦しても良かろうと、なるだけたくさん距離が泳げるよう、練習せねば成らぬ、又目標が出来た。

2011・1・22 ニューイヤーマスターズ(なみはやドーム)

朝一の紀勢線(6時54分)で行きながら大阪のなみはやドームに着いたのが10時半。

レースは22日(土)23日(日)の2日間、当方はそのうち初日の22日だけで出場種目は25mバタフライと200mバタフライ。

流石に429チーム2423名の参加と言うだけあって選手控え室の体育館は、出場者やアップ中の選手、それに応援者がいないにも拘らず多くの人で埋め尽くされている。

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何とか居場所見つけて荷物を置いて25mバタフライに備えてアップに行く。

多くの選手がアップ中に混じって少し泳いでおく、未だ体がなんとなく重く感じる。

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其れと遅く着いたためメインプールでレース前なら可能だった飛び込み練習が出来ていない、日ごろの練習では飛び込み禁止だから、ぶっつけ本番の飛び込みとなった。

このとき昔の仲間のM氏と出会う、お陰でこの日熊野チームで唯一人の参加で何かと便利が悪いのが助けられることとなる。

昔試合馴れしていた時は、ワクワクしながら出場種目待っていたもんだが、20年以上たっての復帰以来間がないもので、なんとなくレース待つのが気が重い。

ピッチ上げて遮二無二25m泳ぎきるのが良いか、なるだけ前に大きく突っ込んで大きなストロークで泳ぐほうが速いか最後の最後まで迷う始末。

大きなストロークで前で伸ばしながら大きくかこうと思いながらレースが始まって飛び込んで浮き上がったら、遮二無二ピッチ上げてかき出していた、所がその割に進んだ感じがしない、飛込みだって満足いく訳ではない。

ついたときに電光掲示板に目をやると19秒43.
矢張り気だけあせってから回りしていたようで、せめて18秒では泳ぎたかったが、これでは来た甲斐がなかろうと言うものである。

只このクラスのトップが16秒台だから、練習次第で手が届かぬ遥か彼方というわけでもないから、一応目標ができたと言うわけである。

これが13秒や14秒なんて出されていると気が萎えてしまう。

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次の200mバタフライは最後のフリーリレーの前で最終に近い、其れまで時間もてあますところだったが、先ほどのM氏のチームに合流して旧交を温めることになった。

当方水泳20年のブランク、昨秋の鈴鹿の大会がマスターズ23・4年ぶりともあっ

て、少しでも以前のタイムに近づくべくこの1年練習してみたが,思いと裏腹に記録はおいそれと回復しない。

尤もその当時だって10年20年掛かって泳ぎの形出来て来た訳だから、復帰して1年そこらで戻るはずがないといえばそうかも知れぬ、でも過って出来ていたことを思い出すだけならなんて気楽に考えていたことも事実。

兎に角以前泳いでいた泳ぎが思い出せないのである。

何かのきっかけで思い出さぬかといろいろ試みてはいるがおいそれとタイム上がらぬ。

ところがM氏のほうは昨年背泳で日本記録を出したそうである。
今は明石のコナミで毎日泳いでいるそうで、インターバル入れての相当きつい練習こなしているそうだ。

当方もインターバル練習を復活するよう勧められたが、まだまだ当方の泳ぎはそんなレベルではない。

何せ糖尿病と仲良くする運動療法用の有酸素運動がメインだから競技にレベル合わせて泳げる段階に至っていない。

しかしながら良い刺激にはなった。


随分待たされた200mのバタフライ。

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只こうした大会に来た利点は他人の泳ぎで我が振り直せるところである。
勿論早い選手の泳ぎも参考になるが、実は自分のタイムに近い選手の泳ぎを見ることで,まさか自分の泳ぎそこまで酷くないと言う自負心もタイムの比較で納得せざるを得ない。
今回もまさにその典型を見ることとなった。

それで200mバタフライも最後の最後までどう泳ぐべきかを悩みぬいていた。

前半上げすぎれば後半持たずに水から腕も上げられぬ おぼれる寸前味わう地獄見なければならぬ、がゆっくり入りすぎて後半上げられぬまま悪い記録でおわるのも面白くない。

それでレース待っている時に隣の泳者にさいしょの50mどの程度で泳ぐのか聞いてみると60秒程度とのこと、所が当方の現在の力では多分ついていけばオーバーペース。

結局このレースの申請タイム一番悪いのが当方だから他人のこと気にせずゆっくり大きく泳ぐことに気を使って泳いでみようと腹を決めた。
一つには自分の持ちタイムに近い選手の泳ぎが大いに参考になったあれの反対で泳げば良い訳で反面教師ということである。

そのため手を突っ込んだ後いつもより少し長い目に前に手を伸ばして大きく泳ぐことをやってみよう、それで記録が伸びなければ其れは仕方が無いと踏ん切りをつけた。

飛び込んでレース前に決めたとおり前で手を伸ばしてゆっくり大きくかくことだけ考えて泳いでいたが、流石にこうなると余り疲れないと言うか、疲れ感じない。
50m時点で隣のコースを見ると不思議と離されている様でもないがと言ってオーバーペースとも感じない。

所が少しづつ手が前で一呼吸取れなくなっていくようで100m・150mと徐々に隣に離されていくようである。

さいごの50mは頑張って泳いだがあまりちじまった様でもない。

電光掲示板4分17秒36は申請タイムの4分30秒より13秒近く短縮はしていた。

ところがさきほどのM氏電光掲示板の途中計時控えてくれていた。

50m・55秒82 100m・2分4秒43(68秒61) 150m・3分14秒28(69秒85) 200m・4分17秒36(63秒08)

当方のレース振り見ていてくれたM氏によるとさいしょの50mはキックも蹴れて滑らかな泳ぎだったそうだが、そこから後はキックが蹴れてなく腕だけの泳ぎのようで、最後の力入れた筈の150mからの最後の50mは特に腕に頼った泳ぎであったようである。

それと25mバタフライの泳ぎもそのような泳ぎであったそうである。

この辺りは最後のタイムだけでは決してわからぬところで、見ていてもらったことに感謝である。

最初の50mまでは手を前で伸ばして一呼吸入れることに気をつけていてキックまで考えもしなかったが、自然とバランス取れていたことが不思議であった。

これからは少なくとも最初の50mの泳ぎ維持する練習すれば早いうちに4分切れると思えた。

55秒ペースの3分40秒台程度までもっていければ70-74クラスではそこそこのレースできそうだから今後の練習の方向性が見つかったことになる。

と言うことで、決して本日のレース結果が昔のタイムから見れば、良かったわけではないが、でも後味の良い大会と言うことになる。

マスターズ水泳大会・鈴鹿

1日目(13日)


ジャパンマスターズが済み大きな大会も無くと言うようなことから結構遠くのチームが出場している。

北は宮城から、西は愛媛までメダルハンターが集結だけに日本記録のアナウンスも結構あった。

わが熊野SCは参加者11名2台別々に行くことになっている。

3時おきのところ2時に目覚めて、長い1日が始まった。

3時半出発、取り敢えず串本でN氏・T氏を、次いでコザでH氏比拾う。
其の先のN氏のところで、N氏の車に乗り換えて5人で鈴鹿を目指す。

尾鷲市まで延々と42号線走り、そこから高速に入って鈴鹿市のスポーツプラザのプール着が9時半。

早速着替えてアップして迎えたのが50mバタフライ。
兎に角今回出したタイムがこれからの塗り替える目標タイムと言うことになる、それ故余りタイム良くても今後の楽しみ少ないことになるが、さりとて余り悪いのも練習の成果出ないことになる。

順位何位か分らぬが47秒93で最初のレースが終わった、飛び込んだ時は差もなかったがすぐに開けられていった。
昔は自分が差をつけられただけに今は歯痒い思いである。。
二十年前のベストが33秒だからもう少し早く泳げると期待したが余りにもブランクが長いのと、歳が行き過ぎて弱った筋肉が戻せなかったようだ。

午後に入って100mバタフライ。
これは大きなどじを二回もやってしまった、ターンの時に深く入りすぎて浮き上がって手を抜くときに抜けないと言う大チョンボで泳ぎを止めてしまった、其れを1度ならズ2度もして最後はバテバテで浮いてしまった。
タイムも2分1秒とインターバル練習中のタイムと変らぬ結果であった。

100mバタフライのすぐ次が100mメドレーリレー。
先のレースが悪かっただけに、オマケに疲れ果てた状態で望むことになっただけに大いに心配であった。

バックのH氏が3位、次の平泳ぎでT氏が2位まで上がり当方のバタフライに引継ぎ。
泳ぐ前は疲労を心配していたが飛び込んでしまえばそんなことも忘れて遮二無二泳ぎだす。
前のレースが嘘のように頑張れた、一人抜き去ってトップで引継ぎできたのは上出来。
アンカーのN氏がそのまま1位で1分18秒。

25m*4のリレーで今回助かった、50m*4ならあそこまで頑張れなかったはずでタイム戻すにはマダマダじっくり時間必要のようだ。

当方は出なかったが100mフリーリレーでは我がチーム1分0秒31と大会新記録のオマケつき。 

この日メドレーリレーの金メダルと申告タイムでの銅メダルとメダル2個。


2日目(14日)

この日は400m個人メドレーと200mバタフライ。

先ず午前中に400m個人メドレー。
さくじつの100mバタフライで疲れて浮いてしまった経験考えて。最初のバタフライ思い切り抑えて泳ぎだした。
最初から差が開く一方だが廻りは見ないことにした。
何とか100m泳ぎきってバックにかわったがバタフライ押さえた分いつもよりましに泳げたように思える、人とに比較で無くあくまで自分との比較である。
平泳ぎになる頃には相当疲労溜まってきたが、何とか平泳ぎ手を伸ばしたところで休みながら何とか泳ぎ続ける。
最後のクロールに来てやっと完泳確信、デモ皆さんには相当置いて行かれた。
久方振りのレースで選ぶ種目でなかったようだ。
ただ申告タイム9分43秒で本レース9分0秒43と自身としては大幅短縮出それなりには頑張ったことになる。

午後になって200mバタフライ、途中で棄権なんてしたくも無かったのでこのレースも順位関係無しに思い切りセーブしながらのスタート。
所が相当ゆっくり入っていながら腕の筋肉疲労が溜まって後半になってもスピードアップが出来ない、もどかしい思いの中でレース終了。
こちらの種目も久方振りのレースで出る競技ではなかったと痛感。
400m個人メドレーと違って、申告タイムが3分43秒がレースでは4分30秒と1分近く遅かったがこれがいまのじぶんの実力、こんごの更新の目標タイムである。

只今後暫しの大会では25m50mバタフライの短距離に絞ってでるほうが良かろうと思っている。

取り敢えず今大会の自分の力をかんがみて今後の目標タイムは25mバタフライ15秒、50mバタフライ38秒として練習である。

本日のメダル、元々65歳以上の部では参加者が少ない種目ゆえタイムに関係なくメダルで銀・銅各1、申告タイムのほうも銀・銅各1の計4個。

同じ道を逆に戻って帰着は夜の11時半。

兎に角13日の朝早く、そして14日の夜遅くとハードなレースとハードな行程であった。







スイム駅伝1000in京都アクアリーナ・SWIM誌-9月5日

月刊SWIM誌主催の関西版のスイム駅伝1000in京都アクアリーナの、競技運営を日本遠泳協会が引き受けた関係で、当方までも役員でかりだされることとなった。

昨年6時53分にすさみ乗り込んだ始発の特急で、京都の西京極のアクアリーナには11時着。

それで何とか少しでも早く着くため、5時40分田辺発の天王寺行き鈍行に乗ることにした。

それで田辺まで車で送ってもらってということで出発4時45分。

それでやっと京都着いたのが10時40分というのだから2時間も早く出ながら結局のところ2・30分早いだけという残念な結果と相成った。

何と6時間ほどだからこれはど田舎というに充分である。
尤もその間に競技役員の小冊子たっぷり詰め込めたからこれはこれで良しである。

昨年の大会500名そこそこだったが今年はそれでも900名越えだから増えてはいるようだが、スイム誌の思惑にはちと足りないところである。

関西でのスイム駅伝の知名度不足であろう。


当方も午後からの競技で審判長やらせてもらったが、これも長らくやっていなかったら、合図の笛の数から違っている。

以前は1回だけ吹いていたのが、今回短く3回ふいて 後のばして1回と全く勝手が違う。

レースは100メートル*10人リレー、25m背泳ぎ、25m自由形、親子リレー(25m-50m・親子)、25m平泳ぎ、25mバタフライ、1000mチャレンジリレーの順で行われた。

1000mチャレンジリレーは50mを多くの選手で引き継いだり、少ない選手で、例えば300・300・400mと引き継いでもよし。

極端には一人で泳ぐことも可能なのである。

大会プログラムでは副審判長に名前載せられていたこともあって、審判長ともう一人の副審判長と交代で笛を吹いた。

今年も笛の吹き方変わっていて短く4回吹いてから長く1回吹くということであった。

一度フライングがあったが、子供でもあり余り厳密に失格にするのも可哀想なので再度やり直しておいた。

後で考えれば、スタート台からでなく下からスタートさせて多少マイナス与えたほうが他の競技者考えればよかったかも知れぬ。


サブイベントとして、トップスイマークリニックとして、昨年は中西悠子さんの「公開泳法セミナー」が昼休みに行われたが今年は源純夏さんであった。

クロールとバタフライ、各10人づつが参加して、その場で泳ぎをチェックしてくれる。

オリンピックのフリーの短距離出場者だけにクリニック受けれた人は大いに参考になったことだろう。

前と違って競技進行中もサブプールで指導していたようである。


終了1時間ほど早めに引き揚げさせてもらった。

もう少し早ければ民主党の代表選の公開討論が梅田のヨドバシカメラ前であったが幾らなんでもこれには間に合わない。

小沢さんの話一度生で聞いてみたかった。

戦後65年、アメリカの属国の地位から対等の国に出来る人物かの判断をしてみたかったからである。

菅さんではこの3月でとても日本任せる人材でないのがはっきりしているだけにこれ以上何も聞きたいとも思わぬ。

朝の6時間に懲りたのでかえりは特急ですさみまでかえった。それでも列車待ちや本屋に寄ったりで帰った時は10時前であった。

田辺・西牟婁郡水泳大会、10年度・8月9日

雨の予報に反して朝のうち晴れ。

昨年は、6時半に校長さん運転の町から借り出したマイクロバスで上富田の鮎川小学校のプール目指して出発。

それほど参加人数があった訳である。

本年は参加者6年1名で5年が4名と僅かに5名。

6時45分集合で7時出発。現地の鮎川小学校には8時頃到着。

早速アップというより飛び込み練習かねてのアップ。

今年はメンバー不足でフリーリレーもメドレーリレーも無しだから自分のレースまでに一泳ぎの機会すらなし。

一度泳いでおくと後が違うんだがと思う。

ついで100mレースが始まるがこれも誰もエントリーできず。

この辺りで雨が降ったり止んだりと予報どうりの展開。

昨年は100mレースで幾つかけっしょう。残りそうな泳ぎしてくれた。

ついで50mの種目。

女子の50mフリーにT子にM子。

当初はT子がM子より早かったがとくれんこうはんになってM子が逆転。

レースはT子昨日の練習もあって無難な飛込みであったが、如何せんピッチが上がらぬ、割と大きな泳ぎだが其れで早く進むほどには腕のかきが強くない。

結局自己ベストまで行かずで残念な結果。

矢張りリレーで1本泳いでいたら少し違ったように思う。

M子のほうはピッチ上がった泳ぎができたがこちらは少しかきが悪くなったようである。

自己ベストは出ていたが後2・3秒ちじめられたはずである。

男子の50mフリー

W君登場、25mで18秒通過なら40秒切りも可能と見ていたが、確かに前半ピッチあげて泳いでいたが後半大きなストロークながら思い切りピッチ落ちている。

結果43秒9は自己ベストに違いないが本当はもっと早く泳げるはずで、これも先にリレー泳いでいればと残念に思う。

一応フリー終わったところで昼の休憩。

50m平と50mバタフライは午後から。

昼休みのアップで平のY君一かき一蹴りとキックに注意と重ねて言う。

バッタのM君には頭と同時に手を思い切り前に突っ込むよう指示。

50m平は先ほどの指示守ってくれるかが勝負のわかれっめと思っていたが矢張りレースになれば悪い癖が出てきて蹴りが効かない。

足の裏で後ろに蹴りだす様なキックをずっと言ってきたがとうとうやってくれなかった。

勿論自己記録の更新すらできなかった。

50mバタフライは急造で教えたところだから、一人取り残された泳ぎなら気の毒と心配したが、何とか皆について泳ぐどころか終盤まで2位で泳いで帰ってきた。

流石に泳ぎこみ不足もあって最後浮いてもう一人に抜かされたが健闘の部類だろう。

何せ練習初めて未だ4・5回、これなら見に来た親もがっかりどころか誇らしく思えたはずである。

50m平覗いて他の4名は皆5年生、来年核になってくれれば、すさみももっと
戦えるだろう。
第15回・リレーフェスティバル

21日のお彼岸の日にリレーだけの大会が高槻市立市民プールであった。



主催は日本遠泳協会だからチト異な感じ受ける向きもあろう。

元々日本遠泳協会主催の大会はチャレンジ24時間泳の大会のごとく遠泳主体ではある。

只日本遠泳協会の前身の寝屋川水泳協会では、マスターズ向きの初泳ぎ大会を主催していたから水泳大会のノウハウはもともと持っていたわけである。

マスターズもまだそれほど大きく育っていずSC協が主催のころで、当時初泳ぎ大会など無く其れでやりだした。

日本マスターズ協会の誕生にはまだ少し遅かったように思う。

要するに人がしないからやり出したわけで、初泳ぎ大会、今はマスターズ協会が手がけているからやっていない。

寝屋川水泳協会も、日本遠泳協会も無かったから、仲間と語らって作り出した。

チャレンジ24時間泳だって、琵琶湖縦断泳だってまだ誰も手がけていないからのことで
24時間TVで24時間泳いだのもまだだれも完泳出来ていなかったからやったまでである。

リレーだけの大会も、きっとやれば面白いと思うんだが、どこもやらないから、当方がまだ会長の当時にやりだした。

数年前から関東でも同じようにやりだし、今では相互乗り入れでお互いの大会手伝うようになっている。

今年は59チーム、821名の参加でほぼプールの容量一杯のようであった。



元々大阪行き20日と決めていたのだが、昔の仲間の大会21日とあって急遽行く日を変えて覗いてみた。

普通リレーの種目は、4泳法の混泳か4人のフリーリレーである。

ところがリレーフェスティバルでは、4人により平泳ぎのみや背泳のみであったりバタフライだけなんてのもあるから皆が楽しめることになる。

普通混メではチームで種目別で最も早いものしか出場できないので2番目や3番目の選手の出場機会が制限される。

ところがリレーフェスでは4名が出れる事になるから、ほぼ皆が楽しむことが出来るわけである。



だから1度出場したチームはほぼ毎年出てくるので、出場種目によっては即刻締め切りなんて事になりようである。

当方も最近海洋プールで泳ぎだしているから串本の人たちも誘ってあげよう。

そちらは来年まで無理だが、今年のチャレンジ24時間泳(1チーム6名で一人1時間を4回繰り返し24時間泳ぎ続ける大会)、7月3・4日だそうである。

こちらに先ず誘ってみよう。

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スイム駅伝1000in京都アクアリーナ・SWIM誌

競技運営を日本遠泳協会が引き受けた関係で、当方までも役員でかりだされることとなった。

6時53分にすさみ乗り込んだ始発の特急で向かいながら、京都の西京極のアクアリーナには11時着。

たっぷりすぎるほどに時間がかかったが、南紀の先端近くから大阪過ぎて京都までだからこれは仕方がないところである。

然しながら、大阪から東京の新幹線が2時間20分と言うんだから、やはりど田舎からでは時間がかかるがその分日頃自然と触れ合っている訳だから仕方のないところかも知れない。

東京で春に開いた大会では2500名からの参加者が集まったそうで、今回もアクアリーナの50mのプール横にして全コース使っての開催予定であったそうだ。

ところがふたを開けてみると500名足らずの参加者と予定大いに下回ったようで、アップ用のサブプール急きょキャンセルしたそうである。

競技用とアップ用、50mプールだけでで十分との判断。

尤も東京圏と関西圏との人口比較では、出場希望者の差がそれだけ出ても不思議はないとも言えるかも知れない。

其の上、プールが西京極でなく大阪のなみはやプールや市営の大阪プールならこうまで選手の集まり悪くなかったと思われる。

普通それだけの宣伝媒体持たない日本遠泳協会主催のリレーフェスティバルですらプールの許容量一杯の800名以上が集まって足切りせざるを得ないほどだから、やはりまだ知名度のなさとかしか考えられない。

最近のマスターズの大会だって関西圏でもたっぷり出場選手吸収している訳だから今回は泳者に対する周知が不足としか考えられない。

ただSWIM誌のホームページが水泳で検索してもトップページに出てこないということは、どうもネットでの検索対策が弱いと言うよりそのような対策の必要性すら分かっていないように思える。

但しさすがにSWIMで検索すればトップに出てくるが、これはそのものズバリの大だけに当然と言えば当然である。



レースの運営は、もっと多くの選手に対応して役員決めていたようだから全くもって問題なし。

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当方も午後からの競技で審判長やらせてもらったが、これも長らくやっていなかったら、合図の笛の数から違っている。

以前は1回だけ吹いていたのが、今回短く3回ふいて 後のばして1回と全く勝手が違う。

レースは100メート

ル*10人リレー、親子リレー(25m*2・親子)、1000mチャレンジリレーの順で行われた。

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1000mチャレンジリレーは50mを多くの選手で引き継いだり、少ない選手で、例えば300・300・400mと引き継いでもよし。

極端には一人で泳ぐことも可能なのである。


サブイベントとして、トップスイマークリニックとして、中西悠子さんの「公開泳法セミナー」が昼休みに行われた。

クロールとバタフライ、各10人づつが参加して、その場で泳ぎをチェックしてくれる。
オリンピックで銅メダルに輝いただけに体系的にはぜい肉なしで、、話すことも最近の新しい流れが分かった。

両泳法とも、以前はS字のかきが潮流だったが、彼女の話では直接まっすぐにかきに入る、S字のような最初の無駄は省くと言うのが今の泳ぎだそうである。

それとクロールの場合、ローリングも前ほど使わないというのだがこれについては何とも納得しがたいものがある。

とてもきれいな泳ぎで、人にサジェッションもらう必要なしと思われる参加者もいた。

レース、50mの半分で行われ、残りがアッププールとして使われている。
それで少し泳がせて貰うことにして、バックで泳いで、泳ぎ見てもらうことにした。
どうもリカバリーのてが早すぎで、疲れたときのほうが泳ぎよくなっているとのこと。
やはり自分で泳いでいるだけでは悪いところが分からぬようである。

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終了30分ほど早めに引き揚げさせてもらったが、片道4時間だから文句もないだろう。


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田辺・西牟婁郡水泳大会・2

100mの種目に続いて  

ついで50mの種目。

男子の50mにO君。

つい先日までとんでもなくぎこちないクロール泳いでいてエントリータイム切らせるのにどうしたものかと当方も頭抱えていた。

ところが特練最後のころになってやっと当方の教え守って泳いでくれるようになった。

サァ日ごろのO君知ってる先生方が驚いた。

「こういうことが起こるんですね、きっとこの子の将来において大きな自信になると思います」と言うことらしい。

エントリータイムで5秒以上短縮して、正真正銘制限タイム切って泳いでくれた。

決勝残るにはまだまだタイムの短縮図らねばならぬが、特練入る前のタイムで比べればたぶん10秒どころか15秒は短縮できたんではと思われる。

彼に取れば、決勝進出に匹敵する一大事件である、親御にとっても喜こんだことだろう。


女子50m平にS子が登場。

この子もとにかく手を伸ばして一呼吸おいて、まっすぐ進むストリームライン作れと口酸っぱく言っておいた。

結構きれいな泳ぎ見せてくれて、エントリータイムを八秒近く短縮。


男子50m平はI君登場。

試合当日まで飛びこみ出来ないと悲鳴あげて泣きそう。

重心下と意識して、スタート時 手をぶらぶらとふっていれば落ち着くと指示。

泳ぎ出したら、手を伸ばしたときにグイっと進む、ここにきて平泳ぎできてきた。

何とエントリー時のタイム8秒も短縮、きっと特連スタート時なら20秒は短縮か?



最後の個人種目は50mのバッタ。

女子はU子、T子、O子の3人が同一組みでレース。

フリーや平なら同一チームから複数泳者の登場珍しくもないが。バタフライのレースにおいてとなると話は別。

すさみにはバッタ好きの泳者が一度に増えたようで、他の学校の注意を引いたようである。

U子特連に入ってもしばし低迷していて、こちらも色々サジェッションしてみた。

なんかのきっかけがあればその低迷一気に打ち破るんだがとレースの前まで思いっきり頭から突っ込んで手を思い切り伸ばせ。

出来れば体重乗せていけ、体重移動の大事さ最後の最後まで言い続ける。

レースが始まるとなんか吹っ切れたように前半から飛ばし最後少々ばててO子に最後追い込まれたが、何とエントリー時のタイム9秒以上短縮している。



50秒初めて切ったタイム、昨年なら悠々で決勝進出が出来ていたんだが今年は惜しいところで決勝進出逃す。

T子もゴーグルずらしながらも5秒の短縮。
そんなときのゴーグル、首まで引き下げるかかなぐり捨てよと教えておけばよかったが後の祭り。

じつは特筆ものはO子でタイムはU子に2秒足らず負けているが、50m競技にもかかわらず、エントリー時のタイムに比べて18秒の大幅短縮。

でも特練開始時はまだバッタ25mさえ泳げなかったこと考えると本当に長足の進歩。

まだ5年生、来年は優勝争いは無理としても3位から5位程度は狙わせよう。

否、今年の頑張り再現してくれるなら優勝争いも夢でない。

この子も来年に向けて走り込みと腕立て伏せ100回、早速課しておいた。

来年が楽しみである。

来年は「惜しいところで決勝進出逃す」と言うことにはしたくない。

最後の個人種目、男子の50mバッタ。

S君、T君が登場。

S君も14秒ほど短縮、泳ぎも良くなってきた。

この子のタイムも去年なら決勝進出が出来たタイムで、50mバタにては男女ともが堂々の決勝進出と、皆で喜んだところである。

当方の指導 短期間で大いに効果出る方法であることが実証され、今後は一層良い方法模索してやってみようという気になった。

T君も4秒短縮だが、彼のバタフライが滅茶苦茶だったものが何とか見れるところまで持ってこれたほうが特筆に値する。

こればかりはすんでのところでさじ投げそうになったからである。


最後の団体種目、100mフリーリレー



女子で20秒、男子で13秒近く短縮したものの決勝には女子で30秒、男子で9秒程まだ足りない。



男女とも40秒泳者4人そろえれば決勝可能のようだから、来年はぜひとも育て上げよう。

でもそれだけでなく先生方も子供たちがやれば出来るということに気ついて呉れたことである。

何せ当方学外者故、先生方がその気になってプールが使える時間増やすなど大いに協力してもらえなければ、また今年のように、良くやったけど惜しかったでおわってしまう。

今から2・30年前、熱心な先生がいたため無敵を誇ったすさみの黄金時代の再来
本気で考えだしてもらえれば言うことなし。
でもそのためには大いなる努力があってのことと覚悟が必要である。

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プロフィール
HN:
がくさん
性別:
男性
趣味:
遠泳 工夫・発明
自己紹介:
ボランティア・学校水泳応援団
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
鳥人間コンテストに7回出場・ヘリ部門2位
フルマラソン5回完走
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