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小学校の水泳授業の指導を協力し学童の泳力向上、教師の負担軽減のボランティア活動
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小学生の平泳ぎの指導法・ビート板キック

矢張りビート板大人用の大きさで扱いずらいが無いもんだから仕方がない。

半分に切って貰うべく頼んでおいたが出来てこない。

大は小を兼ねるとも言うが、過ぎたるは及ばざるがごとしである。

浮きすぎて、大きすぎて扱いに悪いのである。


クロールと違って息継ぎに顔横に向ける必要がないもんだからその点では平泳ぎのほうが教えやすい。

それでも最後まで、息継ぎがなかったら進むくせに息継ぎするとそこで泳げなくなったり、体が立って中断に追い込まれるものがいる。

ビート板持っても良く蹴れて進むものと、皆目進まないものがいる。

そんな時は頭沈めて蹴らせると案外進むものだが、息継ぎで顔が上がるとビート板持っていてさえおかしくなる。

これも時間に余裕があればゆっくり覚えてもらえば良いんだが限られた時間で教えるとなると早々ゆっくりともいかぬ。

足に小型のフィンでもつけさすことが出来ればキック実感できて蹴り方と進み方わかってくれるように思える。

バタフライもキックの感じ掴ませる時にフィンつけてやらせると良く体感出来て理解を助けることがある。

平泳ぎのキックにも最適であろう、来年までに何か代用品考えておこう。

後ろにカラ蹴りするんでなくじわーと大きく蹴れるようになるかも知れぬ。



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小学生の平泳ぎの指導法・キック

これは3・4年生だけでなく全学年総じて同じでキックやらせてみると昔ながらのカエル足である。

当方だって平泳ぎを得意としていた時期もあったが、残念ながらそれは遥か昔、カエル足全盛期の頃で今のように真後ろに向かって蹴るというようなキックの時ではない。

ただ400m個人メドレーにごくまれにエントリーした時にキックの練習をしたという程度のことである。

それでも競泳向きのキックは明らかに。カエル足は時代遅れと言うものである。

学年ごとの到達目標ではキックについて記述がなく平泳ぎとしか明記ないもんだから、先生方誰も疑問なくそれで教えてきていたようである。

でも競泳するならいずれ修正の必要ありなんで当方が受け持った分から修正にかかったが、一旦ついた癖はそう簡単には治らぬ。

田辺・西牟婁の大会時点でキック治っていれば、決勝に残ったと思われるだけに残念である。


3・4年生の指導で述べてみよう。

まずクロールのキックと同じく壁持たせてキックさせて、しかる後に壁に手を当てるだけでキックさせてみる。

ものの見事に全員後ろに下がる。

壁から手が離れるため溺れそうになる子が出る始末。

悪いなりに揃っていれば未だしも全員バラバラ、中には縦方向や横方向で足がそろわぬ、左右対称なんてことにならぬ。

泳法違反も最たるものである。

これなら却って後ろに足の裏で水蹴るように、キックさせるほうが簡単かも知れぬと変に安堵。

それで一人づつ壁持たせて、当方が足掴んでキックさせて実感させてやらせてみると少しできるようになる。

最後には壁に手を当てているだけで推進力出てきたのか後ろに下がることがなくなってきた、こうなると次に進める。

但し少し間が空くとまた元に戻っている。

矢張り、このような足の動きに不慣れで水が後ろに向かって蹴れていない、今少し時間が取れれば行けるのではないかと思える。


特練のとき5・6年生に二人一組で一人が壁掴んでキックさせて、他の一人が後ろに立って蹴った水の流れ感じさせてみたらよく理解できたようだ。

きっちり水捉えて後ろにキックできればその水の流れ、後ろの者はっきり感じ取れる、蹴り方によってその感じをキックするものに伝えてやれば良く分かる。

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小学生のクロールの指導法・3、ストロークとコンビネーション

今年が初めての為、当方にも慣れぬところがあって息継ぎについて少々教え方に不手際があった。

顔が横に上げれないと何かにつけて不都合で、特に前にあげてしまわれると、足が下がることになって結局ストロークがうまく出来ないことになる。

そのため息継ぎうまく出来るために余分の時間とられてしまうことになった。

それでも何とかできるようになった子らにはビート板持たせて片手づつから教えることにした。

ただ前にも言ったが大人用のビート板で大きいため小さい子にとって操作が厄介過ぎることとなった。

このビート板持たせたすぐの段階で、片手による交互の息継ぎまで済ませておけば息継ぎからストロークまで一連で済ますことが出来て時間の短縮が出来たように思う。

来年はそのようにしてみよう。

ストローク、まずはまっすぐ手を伸ばしてなるだけ遠いところからかくように指導して見た。

ある程度出来た段階で体のローリングとS字のストロークを教えることとしたがそこまで行けたのは特練入って一部の子供たちだけで、1・2年生ではそこまでは出来なかった。


ただ先日京都であったスイム駅伝大会での中西悠子さんのクロールのクリニックでは、最近の競泳の一流選手はS字のプル使わずそのまま真直ぐに手前にかいてくるのが主流になっているとの事であった。

長年S字に拘ってきた身としては少なからず違和感がある。


最後に大会に向けての練習について触れてみよう。

とにかく時間が少ない中で何とかスイミングで習っている子供たちに追い付くためんには色んなことをやっていられないので、まずきれいなゆったりした泳ぎを身につけて貰うことが一番とそこを注力した。

所が言うは易し行うは難し。

まず現在のストローク数 数えさせてそれより5つはストローク減らせるように大きくゆっくりとを意識させてやらせてみると、ストローク数徐々に減るとともにおよぎが大きくゆっくりだが奇麗になり出してきた。

それで気を良くして泳ぎこみあきらめてそこのところを徹底して特練でやらせた。

あと少し時間があってストローク数同じでピッチ上げる練習できていたら、大会ではもう少しタイムの短縮図れたように思えた。

ただ特連と言っても4泳法、特に背泳ぎ、バタフライについては特練で教えて、制限タイム越えさせて、レースに出場まで持っていかなければ成らず、クロールばかり時間とる訳にもならず苦渋の選択と言うところである。

ただメドレーリレーにおいて、クロールと背泳ぎがネックとなり、フリーリレーではもちろんクロールの底上げが必要である故、もう少しの練習時間のねん出が来年の課題である。


ただ低学年から正しい泳ぎをきっちり身につけさせれば、いずれ5・6年になった時は十分他校と競争できることにはなろうと楽しみにしている。

2年生中に、今の5・6年の到達目標クリアーは来年はやれるよう指導法考えておこう。

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小学生のクロールの指導法・2、ビート板キック

ビート板持ってのキックに移る。

キックある程度出来るようになったところでビート板持たせようとしてビート板引っ張り出してきて気がついた。

1・2年生の小さな子が持つにしたら大きすぎる、大人用のビート板をそのまま使っている。

あとで先生に言って半分の大きさにするよう頼んだが、ニクロム線使って出来ると言って貰えたのでそのうち半分に切った小さいのが出来てくるかと期待したが、今シーズン中には出来て来なかった。

学校備品だからキズものに出来なかったかしたくなかった、あるいはそのような事する時間がなかったか、ニクロム線が切れていて用意が出来なかったか、いずれの理由かは聞いていないので分からぬが小さい子に大きいビート板辛抱して使わすほかないようであった。

壁に向かって面白くもない蹴りさせられていたのが、ビート板持ったとたんいかにも泳ぎ出来そうでウキウキしているのが分かる。

然しながら、やはり蹴り方を復習して愈々短いほうの壁目指してキックさせてみる。

キックの時にマスター出来た子は確かに早く進むが、そうでなかった子は蹴りの効率が悪いかして時間倍からかかるようである。

その遅い子たちの足もって正しい蹴り方体感してもらうんだがそれでよくなる子と相変わらず膝曲げて水しぶきばかり上げる子がいる。

あし先は曲りなりに伸ばしているようだが、膝のほうがなかなか治らない子がいる。

それで蹴りの悪い子選んで壁に向かって例のキック復習させるが、前回まがりなりに良くなっていたのがまた戻っている。

おまけに力入って軽く蹴れていない。

力まず軽く蹴って前に進むように壁に手をおいて蹴らせてみるとすぐ直る子とそうはいかない子がいる。

それでまたマンツーマンで足もってやらせてみるとやっと治ってくる。

それで体にしみこませるべくしばし続けさせて、今一度ビート板に戻ってみる。

まだ早いおそいの差がありながらでも先ほどよりはずいぶん良くなってきた。


実は今年の指導ではこの後徹底的に呼吸のときの顔の上げ方をやらなかったため、息継ぎがうまくいかなくて困った子がでてしまった。

ただこの子たちの指導目標、息継ぎ出来なくてもどんな泳ぎでも5m泳げれば合格と言うことで、息継ぎ出来ない子は息継ぎなしで泳げさえできればと済ませてしまった。

でも来年は1・2年生から50m泳がすのが当方の目標に置いているので矢張りきっちり教えないことにはクリヤー出来なかろうと思っている。

今年は何分初めてなもんで目標持って教えていかなかった部分がありで、特に前半はそうで、5・6年生の地区大会に向けて考えれば、

限られた時間有効にするためには、3・4年生どころか1・2年生のうちからもっとレベル上げて教えておかないと、スイミングで習って大会に出てくる子供たちと太刀打ちできないこととなる。

せっかく当方が指導していくなら、当地の子は地理的条件もありスイミングに通えないながら、通っている子の一角崩しぐらいはさせてやりたいものと考えるからである。


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小学生のクロールの指導法・1、キック

今年初めて小学生の水泳を見ることになったが興味深いところが多々あった。

あまり時間がたって忘れないうちにまとめておこう。

1・2年生の水泳初歩から取り上げてみよう。

幸いにしてか残念ながらと言うか、最も初心者の所は女の先生が以前からやっていて、当方はそのあとの部分から引き受けることになった。

だから水怖がって顔もつけれない子供に水泳教えるところからスタートした訳ではない。

ある程度出来た、膝までの小プールにて3mほどをキックだけでも進めたところの子供たちを引き受けることになった。

そんな子供たちだから小さい子どもは、目を離すとバタ足やらしていても、足が立たないところでは溺れかかったりする。

いずれにしてもキックから時間かけて教えることにした、何故ならキックしても膝曲げてのキックだから進まない。

最初キックの仕方から教えるため、プールサイドに腰掛けて足をキックさせてみる。

ものの見事に足先長靴状に蹴って見せてくれる、勿論膝だってまがっている。

それでプールサイドに両手つかまらせて伏せの状態で蹴って貰うが、それで急に足先伸びて蹴り出したなんてことは無い。

そのままプールサイド掴んでいた手を離して、壁に手を当てるだけにして同じく蹴って貰う。

この「両手離してのキック」は中習者にやらせてみても壁から離れていくことの多い、蹴りの悪さが良くわかる試験方法でリトマス試験紙のようなものである。

少々なれてクロールが出来ると言う場合でも案外キックが出来ていないことの多い、そしてそこを注意させると即タイムが良くなる特効薬的な判別法で、今までも良く使ってきた。

子供たち 案の定プールサイドから蹴るたびに離れていく。

その経験させておいて、足先伸ばすことの大事さ理解するように説明する。

再びプールサイドに腰掛けて足先曲げて蹴るのと伸ばして蹴るのと水の抵抗の違い感じて貰う。

そのついでに膝曲げる蹴りを膝伸ばして太腿から蹴っていくような気もちで蹴らせてみる、その時手は少し後ろ目で支えるようにさせると良いようだ。

それで25m行けるほどにと言うことで50ほど数えて蹴らせてみる。

それだけで結構疲れてしまうようであるが、その時力入れずに楽に蹴るという意識持たせて蹴るように指導。

そこまでしておいて今度はプールサイドに掴まって伏せてのキックをやらせる。

足先まっすぐのびて膝もあまり曲がらず蹴れる子が半分近くいるのだが、先ほどの悪い状態に戻っている子ももちろんいる。

それで手を離してやらせてみると半分ぐらいの子が壁から離れず蹴れているが残りはやはり後ろに下がっていく。

そこでもう一度足先とひざ注意して、再度やらせてみると今度は殆どいけうようになってきた。

出来ない子をマンツーマンであし先持ってキックやらせて正しい蹴りを体感させる。

但しまだ後ろに下がらぬように必死で力入れて蹴ってくれているので、これでは疲れて長続きできない。

それでいかに軽く少ない蹴りだって壁から離れない、すなわち推進力が出ているか見本見せる。

そしてなるだけ軽く少ないキックでも推進力出るようにやらせてみる。

今まで必死に蹴りいれていたのが徐々に軽い蹴りでも壁から離れなくなる子が出てくる。

足先まっすぐどころか逆に反っている子は、やはりうまく出来ている、それを皆に見せてそれが良いことを説明する。

先ほども述べたとおり中習者ですら蹴りが良い加減が多い、それでもコンビでは進むのだから、ちゃんとキック教えておくと後の進みが違うはずである。

これがきっちりできるだけで、息継ぎなしで伏し浮きだけで10メートルは行けるが、力入れて蹴っているとそこまで息が持たない。

軽く少ないキックで十分進む蹴り方マスターさせるには壁に手を当てて自分で良い悪い判断できるこの方法は大事であると思われる。

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スイム駅伝1000in京都アクアリーナ・SWIM誌

競技運営を日本遠泳協会が引き受けた関係で、当方までも役員でかりだされることとなった。

6時53分にすさみ乗り込んだ始発の特急で向かいながら、京都の西京極のアクアリーナには11時着。

たっぷりすぎるほどに時間がかかったが、南紀の先端近くから大阪過ぎて京都までだからこれは仕方がないところである。

然しながら、大阪から東京の新幹線が2時間20分と言うんだから、やはりど田舎からでは時間がかかるがその分日頃自然と触れ合っている訳だから仕方のないところかも知れない。

東京で春に開いた大会では2500名からの参加者が集まったそうで、今回もアクアリーナの50mのプール横にして全コース使っての開催予定であったそうだ。

ところがふたを開けてみると500名足らずの参加者と予定大いに下回ったようで、アップ用のサブプール急きょキャンセルしたそうである。

競技用とアップ用、50mプールだけでで十分との判断。

尤も東京圏と関西圏との人口比較では、出場希望者の差がそれだけ出ても不思議はないとも言えるかも知れない。

其の上、プールが西京極でなく大阪のなみはやプールや市営の大阪プールならこうまで選手の集まり悪くなかったと思われる。

普通それだけの宣伝媒体持たない日本遠泳協会主催のリレーフェスティバルですらプールの許容量一杯の800名以上が集まって足切りせざるを得ないほどだから、やはりまだ知名度のなさとかしか考えられない。

最近のマスターズの大会だって関西圏でもたっぷり出場選手吸収している訳だから今回は泳者に対する周知が不足としか考えられない。

ただSWIM誌のホームページが水泳で検索してもトップページに出てこないということは、どうもネットでの検索対策が弱いと言うよりそのような対策の必要性すら分かっていないように思える。

但しさすがにSWIMで検索すればトップに出てくるが、これはそのものズバリの大だけに当然と言えば当然である。



レースの運営は、もっと多くの選手に対応して役員決めていたようだから全くもって問題なし。

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当方も午後からの競技で審判長やらせてもらったが、これも長らくやっていなかったら、合図の笛の数から違っている。

以前は1回だけ吹いていたのが、今回短く3回ふいて 後のばして1回と全く勝手が違う。

レースは100メート

ル*10人リレー、親子リレー(25m*2・親子)、1000mチャレンジリレーの順で行われた。

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1000mチャレンジリレーは50mを多くの選手で引き継いだり、少ない選手で、例えば300・300・400mと引き継いでもよし。

極端には一人で泳ぐことも可能なのである。


サブイベントとして、トップスイマークリニックとして、中西悠子さんの「公開泳法セミナー」が昼休みに行われた。

クロールとバタフライ、各10人づつが参加して、その場で泳ぎをチェックしてくれる。
オリンピックで銅メダルに輝いただけに体系的にはぜい肉なしで、、話すことも最近の新しい流れが分かった。

両泳法とも、以前はS字のかきが潮流だったが、彼女の話では直接まっすぐにかきに入る、S字のような最初の無駄は省くと言うのが今の泳ぎだそうである。

それとクロールの場合、ローリングも前ほど使わないというのだがこれについては何とも納得しがたいものがある。

とてもきれいな泳ぎで、人にサジェッションもらう必要なしと思われる参加者もいた。

レース、50mの半分で行われ、残りがアッププールとして使われている。
それで少し泳がせて貰うことにして、バックで泳いで、泳ぎ見てもらうことにした。
どうもリカバリーのてが早すぎで、疲れたときのほうが泳ぎよくなっているとのこと。
やはり自分で泳いでいるだけでは悪いところが分からぬようである。

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終了30分ほど早めに引き揚げさせてもらったが、片道4時間だから文句もないだろう。


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マスターズ水泳・5・寝屋川水泳協会のこと(2)

前回大阪社会人水泳大会での隠れたエピソード引っ張り出してみた。

いずれ遠泳の項で触れることになろうが、寝屋川水泳協会も大いに関係するので少しふれておこう。

その当時遠泳に目覚めるきっかけは、ドーバー海峡を日本人としてはじめて泳ぎ切った大貫映子さんにあった。

ドーバー泳いでみたくなって練習にも熱が入り出したが、さてどの程度泳げばドーバー成功できるかの目安がなかった。

それで目をつけたのが琵琶湖の縦、54キロほどあろうから34キロのドーバーより長いから距離の不足はない。

尤もドーバー夏でも16度から20度と冷たいからこれはまた別の練習が必要である。

その準備として24時間プールでおよぎつづけることとした。

それで24時間、ドーバーにならって6人でリレーしながら泳げばどの程度泳げるかの目安が出来ようというものであった。

ただまともにプールに「24時間安く貸して」なんて行っても金輪際貸そうとしないだろうから日本テレビの「ズームイン朝」に話持ち込むことにした。

その橋渡しは大貫さんがしてくれ、当日の朝 途中経過生放送してくれることになった。

そのため、「ズームイン朝」の放映の都合でレースは日・月で行われることとなったが、それ以後は選手集めの都合もあって必ず土・日である。

それでプールも無償で借りることとなって、ここに日本初の24時間リレー泳で 泳ぐ距離を競う大会の誕生となった。

もちろん主催は寝屋川水泳協会で、プールはショッピングプラザ内の件のプールで、我々も会員であった。

知り合いのチームに声掛けてとりあえず10チーム近く集めた。

もうその当時には当方もバタフライでドーバーなんて言ってたもんだから、当時のギネス記録の島から島の16キロバタフライのギネス記録の塗り替えに挑戦することとした。

当方9時間がかりで17キロ泳いで、ギネス突破と言うことで辞めた、翌日の新聞にはギネス突破と書いてくれたが、実際には2年ぐらいのタイムラグがあり記録もっと伸びていて承認されることはなかった。

確か1番のチームで24時間で90キロ近く泳いだと思うが、参加チームは10チームほどであったように思うが、もう25・6年以上も前の話で定かではない。


寝屋川市長に話持ち込んで寝屋川市民プールに変わったのは第2回目からであった。

参加チームの増加に備えて屋内の25mプールから屋外の50mプールに移動したと言うのが真実で他意はなかった。
その後20チームほどの参加社集まったから正しい選択ではあった。

そのため雨にたたられたり、夜は工事用の発電機持ち込んだり余計な手間が増えることになったガ今は良い思い出である。

まだこのようなレースが世間でないもんだから結構ニュース向きだったのかNHKはじめ4・5局やってきてTVに流れた。

TVに写らなかったら、1回目引き受けたプールも何とも思わなかったろうが、あちこちの局に流れたもんだから、どうもご機嫌斜めだったようで、その後24時間泳の大会に系列の水泳大会ぶつけて、系列内のチームの参加が困難となったりもした。

でもそのおかげで、スターター努めた市長もTVに写って、プール借りた身としては大いに面目施すことになった。

その後大貫映子さん24時間に出場してくれたり、大阪の障害者団体の「大阪泳ごう会」が出てきて常連となったり、東京の石井晴幸さんの障害者チームがドーバー挑戦の一環として参加するようになったりしたが、この辺も遠泳のカテゴリーで書いてみたい。


寝屋川水泳協会もその後、日本遠泳協会に発展的に移行して役員も全員そちらに移って、今は残っていない。


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水泳指導教本について

先日大阪に行った時に用事が終わって本屋に寄った折スポーツコーナーに行ってみた。

水泳関連の本が見てみたかったからである。

当方が盛んにタイムあげようとしていた35歳から50歳の間に手に入れた本も半端じゃなかったが、最近の本見て写真のきれいさに驚いた。

その当時の本はカラー写真が少なくて白黒写真が混じっているし、紙質も良くない。

それとほとんどの本にDVDが付属してそれでなおかつ殆ど1500・1600円程度なのである。

取りあえずDVD上達レッスン 水泳」サブタイトルで、楽に、長く、早く泳げる最新フォームを完全マスター!!」を買い込んでみた。

似たような本がいろいろあった中で何がと言うほどの決め手あった訳でなくただなんとなく程度で決めた。

もちろんその本にも 80分にも及ぶDVDが付いてきた。

80分もあれば相当模範泳法が見れることだろう。


昔に手に入れた分調べてみたが、引っ越しのどさくさでどこに仕舞い込んだか大半が見つからない。

出てきたのは1種の指導員(体協の上級指導員)を取った時にかわされた「水泳指導教本」でこれは単に水泳に泳法だけでなく広範にわたっている。

他に「見てわかる 水泳」それと 知り合いの高橋伍郎さんや糸山直文さんの関係した[初心者のための 水泳教室」それに「楽しい 水泳の流体力学」の4冊。

最近の本と比べてどうも見劣りがする事夥しい、たとえDVDが付いていなくてもそのように感じる。

其の上泳法自体も時とともに変わるから猶の事である。

クイックターンにしてもずいぶん変わってきたし、平泳ぎなども頭の水没問題があったのも今は変わっている。

そのような大きなことでなくともスピードだすためにいろんな工夫が行われて、その時点その時点で最高の泳ぎ方とされるものが変わってくる。

だから根幹は変わらぬとしても、古い本だけではカバーしきれないのが正直なところであろう。


個々の本についてはいずれ述べることもあろうが、最近の傾向について述べてみた。

でも数あるうちからいずれを選ぶかとなればこれは何とも選びにくい。

知り合いが本でも出していればそれにするんだが、以前と違って最近の当方はこと競泳に関して言えば浦島太郎の心境で、永年知り合い増やすこともなかったほどである。

当ブログまだ当分閉鎖することもなかろうから、これからはまたいろんな情報が増えることとなるかも知れない

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マスターズ水泳・4・寝屋川水泳協会のこと(1)

スイミングクラブ内だけの活動ではあきたらなくなった。

同市内には2つのスイミングがありその両方の会員から役員が出て市内に水泳協会なるものを設立した。

規約や色んな手続等で奈良の水連の理事で、マスターズ水泳の推進者のY氏に大いにお世話になった。

系列内水泳大会での知り合いで、この後実業団水泳大会の出場などでも奈良の皆さんと一緒に参加させてもらうきっかけとなった。

もちろん当方は、大阪社会人水泳大会で実業団の参加標準タイムクリヤーしての大阪からの参加だが、多分宿自分で手配してまで一人で参加しなかったであろうと思われる。

そのY氏も数年前亡くなられた。
奈良のマスターズの最大の推進者であっただけに残念なことである。合掌!

そして運営費のねん出のため両プール交互に借りて初泳ぎの水泳大会を開催した。

もちろん市内の水泳の普及・発展が錦の御旗ではあったが、参加者は大阪全域どころか京都、奈良まで。

何年か続けることとなったが多い時には600人ほど集まった、勿論あちこちにできたスイミングのコーチやマスターズ会員が選手集め手伝ってくれたおかげである。

自分たちも出場しながら役員兼ねてるから忙しい事は忙しかったが充実していたことも事実である。

其の上団体には市長に頼んで市長杯作ってあったから大いに盛り上がった。

市長には小さなトロフィーなら渡し切りにするから毎回必要、それが嫌なら大きなトロフィーにしてもらうように頼んでおいたらちょっと小さな大人ぐらいのを提供してくれた。

それで毎回持ち回りの市長杯となった。


ある時、寝屋川水泳協会の名で大阪の水泳協会に団体登録して社会人大会に出ることにした。

団体登録時、大阪水泳協会側からは何らのクレームも付かなかったと言うことは言っておこう。

当協会規約はもちろん寝屋川在住・在職だが、当寝屋川水泳協会応援者は入会可能としておいた。

それでいろんなスイミングの主な早い連中集めてチーム組んで出場して見た。

社会人大会はメインが20代の若い連中が中心で、あとは10歳刻みで50代までの年齢区分だから 最初から大した期待も持たずに出場した。

何せ住友金属の水泳部とかそれを脅かす系列スイミング12・3あったような所が出てくる訳だから期待のしようがなかったわけである。

所がこちらの作戦勝ちとも言うべきことが起こって大阪水泳協会内が蜂の巣つついた状態現出。

尤も全部のチームが騒いだ訳ではなく件のスイミングスクールの運営会社が、それも責任者が大騒ぎしただけのことではあるが。

彼はもともとオリンピックで銀メダル取るほどの選手であったからいつもお山の大将でおらねば承知できないところがあったようである。

こちらは中年マスターズの集まりというのは先ほど述べたが、ほぼ40代50代がメインのおじさまチームの素人軍団。

なるだけクロールより平やバックやバッタに選手振り分けておいた。

同年代で選手重なる場合、同一種目に出ないであえて年齢の若い部分にエントリーするようなことを選択した。

例えば40代でバッタの得意な選手が3名いた場合、20代の200mバッタ、30代の100mバッタ、40代の50mバッタと振り分けたらすべてで2位に入り大いに得点稼ぎだした。

もちろん40代ながら20歳以上が出場出来る200mバッタきついかも知れぬが、きついはお互いさまで、学生時代名を売った選手でもそうは出てこないと踏んでのことで、もちろん当方が出場した。

それに得点狙いで出してこられたスイミングのコーチ連中には引けを取らぬとの思いもあった。

もと関大水泳部の府警の選手には引けを取ったが、各スイミングのコーチ連中には負けずに大いに気勢が上がったし、当方にとっても大いに自信になった。

マスターズのように5歳刻みの同年代でなく若手との勝負だけに趣が違う訳である。

それと我々は殆ど1発決勝種目でレース終了時即刻得点が加算され、若手の出場者の多い午前予選、午後決勝というレース多く抱えているチームより得点の積み重ねが早く行われた。

そのため午前の部が終了した時点ではなんと寝屋川水泳協会がトップにいたのである。

それで優勝常連のチームに目をつけられることとなった訳で先ほどの あのお方が大いに文句をつけ出した訳でそれでやむなく大阪水泳協会の人が出場資格云々ということになった。

大阪実業団水泳大会なら我々寝屋川水泳協会ではまずかろうが、大阪社会人水泳大会故何の文句があろうと思っていた。

しかし内規に所属会社が実業団登録する必要があると言いだしてきた。

所が過去スイミングのマスターズの連中がスイミングクラブの所属選手として出ている例が多々あり、問題にされていなかったことも周知でありながらのごり押し。

どうも我々1回目の出場で彼らがあわてるほどにひっかき回したようである。

実業団チームが我々マスターズの素人軍団の後塵拝すと言う無様に逆に危機感持って翌年はきっちり練習して馴れ合い廃すきっかけにすると言うなら分かる。

所が負けるはずのないチームに負けているという現実に頭に血上らせて無理やりに排斥に回ると言う体たらく。

尤も彼にしたら自分のスイミングに通っているのだから、自分のチームから出てくれていれば許すが、そうでなければ憎さ100倍なんてところもあったようで、その後
寝屋川水泳協会主催の大会に、系列スイミングの大会わざわざぶつけてきたりといろいろあったようである。

先ほどのスイミングクラブのマスターズ選手の出場問題と、登録申請時点で認可しておきながら得点かさねると排斥では納得できぬと言うことで最終的には今回は認めるが次回は認めないで決着。

素人軍団排斥するより取りこんで大いに盛りあげるだけの度量のなさに次回からはこちらから出場取りやめとした。

午後の得点あげて行ったチームに抜かれて 最終的には4位か5位だったように思うが、大阪の実業団にマスターズの素人軍団が大いに頑張ったと言うことだけはここに書いておこう。

最近はマスターズとはいえ元高校や大学の有名選手、スイミング所属で名を売った選手などの出場もあって、マスターズ即素人と言えないところもあるが当時の我々は素人がマスターズ水泳に魅せられて集まった正真正銘の素人軍団であった。

銃に竹やりで戦争仕掛けたようなもので無謀といえば無謀であったがでもそれなりにやれたのだから今持って面白い。

それどころか嫌がられる存在となった訳だから大いに自慢してよかろうと今でも思っているし、水泳協会とはなんと古臭い体質残しているかと思ったもんである。

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マスターズ水泳・3 (系列スイミング内の大会)

その当時は、スイミング全盛になりかけの頃で、子供なんか入会1年街なんてざらであった。

その後各地にスイミングが増えるにつれ是正されだしたが、そんなのはまだまだ先のことである。

SC協のマスターズ以外に日本マスターズ出来るまで、所属スイミングの系列内での大会が作られた。

当時すでに所属スイミングでいつのころからかまとめ役するようになっていた関係で大いに手伝って出場選手の掘り起こし手伝ったりした。

出場選手の数の関係で第1回・第2回とチーム優勝できなかったため第3回は、夜の成人と昼間の婦人とが協力して選手集めてなおかつ、クロールに偏らずに4泳法にばらまいて優勝狙った。

結果は12・3チームあったと思うがやっとチーム優勝できて、皆で大いに盛り上がったものである。

そのころからフリーに偏らず選手いろんな泳法に振り分けるべきであると言うことがあって、小学生の郡の大会でのエントリー時そういう進め方をした訳である。

最初のころはそれほど選手数も多くなかったため、系列スイミングの持ち回りで進めることが出来たが、出場者が増えるにつれてそうもいかず、収容規模の大きいスイミングに固定されるようになった。

第3回以後我らがチームは強豪チームとして認められるようになりいつも優勝争いをするようになった。

その頃には当方のバタフライ フリーよりタイム速くなり、メドレーリレーだけでなくフリーリレーでもバタフライで泳ぐようになり、参加者のだれもがあいつは仕方がないと思ってくれるようになった。

と言って、50m30秒切れるほどでもなく35秒程度であったからバッタならそこそこのレースできてもフリーではやはりきつかったが、あまり気にもしていなかった。

バッタが早くなったと言うよりクロールのタイムが35秒切れなかったと言うほうがわかりやすい。

とにかく何時もバタフライ以外練習しないのだからそれもやむを得ないところである。

バッタはその後もじわじわ伸びて50才の声聞くようになって短水・長水とも33秒の前半まで伸びることになり、実業団の大会まで遠征するようになるのだがそれはまだまだ先のことである。

だから人間の骨は年々衰えるが、筋肉は練習次第でいつまでも強化されると言うのが当時の実感である。

ただその後少ししてから遠泳に目覚めることになりあまり短い距離の練習が手抜きになっていながらなおかつタイム短縮が出来て行った故そのまま競泳続けていれば30秒切れるところまで行けることとなったかも知れない。

バタフライ以外練習しなかったのが、遠泳向きのクロールで長距離をゆっくり大きく泳ぐ練習し出したわけだから。

SC協の大会出たり、系列内の大会出たりして、それもまとめ役するようになって各チームのまとめ役や同伴のコーチに知り合いが急速に増えて行った。

そのおかげで自分が主催者になって大会運営することになるんだがそれは次回で書こう。

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プロフィール
HN:
がくさん
性別:
男性
趣味:
遠泳 工夫・発明
自己紹介:
ボランティア・学校水泳応援団
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
鳥人間コンテストに7回出場・ヘリ部門2位
フルマラソン5回完走
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