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小学校の水泳授業の指導を協力し学童の泳力向上、教師の負担軽減のボランティア活動
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マスターズ水泳・3 (系列スイミング内の大会)

その当時は、スイミング全盛になりかけの頃で、子供なんか入会1年街なんてざらであった。

その後各地にスイミングが増えるにつれ是正されだしたが、そんなのはまだまだ先のことである。

SC協のマスターズ以外に日本マスターズ出来るまで、所属スイミングの系列内での大会が作られた。

当時すでに所属スイミングでいつのころからかまとめ役するようになっていた関係で大いに手伝って出場選手の掘り起こし手伝ったりした。

出場選手の数の関係で第1回・第2回とチーム優勝できなかったため第3回は、夜の成人と昼間の婦人とが協力して選手集めてなおかつ、クロールに偏らずに4泳法にばらまいて優勝狙った。

結果は12・3チームあったと思うがやっとチーム優勝できて、皆で大いに盛り上がったものである。

そのころからフリーに偏らず選手いろんな泳法に振り分けるべきであると言うことがあって、小学生の郡の大会でのエントリー時そういう進め方をした訳である。

最初のころはそれほど選手数も多くなかったため、系列スイミングの持ち回りで進めることが出来たが、出場者が増えるにつれてそうもいかず、収容規模の大きいスイミングに固定されるようになった。

第3回以後我らがチームは強豪チームとして認められるようになりいつも優勝争いをするようになった。

その頃には当方のバタフライ フリーよりタイム速くなり、メドレーリレーだけでなくフリーリレーでもバタフライで泳ぐようになり、参加者のだれもがあいつは仕方がないと思ってくれるようになった。

と言って、50m30秒切れるほどでもなく35秒程度であったからバッタならそこそこのレースできてもフリーではやはりきつかったが、あまり気にもしていなかった。

バッタが早くなったと言うよりクロールのタイムが35秒切れなかったと言うほうがわかりやすい。

とにかく何時もバタフライ以外練習しないのだからそれもやむを得ないところである。

バッタはその後もじわじわ伸びて50才の声聞くようになって短水・長水とも33秒の前半まで伸びることになり、実業団の大会まで遠征するようになるのだがそれはまだまだ先のことである。

だから人間の骨は年々衰えるが、筋肉は練習次第でいつまでも強化されると言うのが当時の実感である。

ただその後少ししてから遠泳に目覚めることになりあまり短い距離の練習が手抜きになっていながらなおかつタイム短縮が出来て行った故そのまま競泳続けていれば30秒切れるところまで行けることとなったかも知れない。

バタフライ以外練習しなかったのが、遠泳向きのクロールで長距離をゆっくり大きく泳ぐ練習し出したわけだから。

SC協の大会出たり、系列内の大会出たりして、それもまとめ役するようになって各チームのまとめ役や同伴のコーチに知り合いが急速に増えて行った。

そのおかげで自分が主催者になって大会運営することになるんだがそれは次回で書こう。

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プロフィール
HN:
がくさん
性別:
男性
趣味:
遠泳 工夫・発明
自己紹介:
ボランティア・学校水泳応援団
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
鳥人間コンテストに7回出場・ヘリ部門2位
フルマラソン5回完走
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