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小学校の水泳授業の指導を協力し学童の泳力向上、教師の負担軽減のボランティア活動
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マスターズ水泳・2

実は高校時代水泳部に入り損ねたが、3年の受検の時期の夏休みだって勉強しながら学校で泳いでいた。

おかげで水泳部でないとしてはマァましな25mフリー13秒5程度まで記録が出ていた。

だから秋の校内水泳大会の学年別リレー、トップ泳者で水泳部の現役の1・2年生に引けも取らずに引き継ぎ出来ていて少々水泳には自信もあった。

そんな訳でマスターズに出るようになって、ある程度の自信もってフリーに出るんだがどうもいつも同じ連中に負ける。

それで聞いてみると、高校時代相当鳴らしてたということである。

そんなころバタフライ習いだしてしんどい泳ぎながら何とも面白い、それに皆も同じくしんどいと感じて敬遠するところが なお良いと感じた。

それでフリーではまだ当分抜けそうもなかったこともあってバタフライにシフトすることにした。

最初のマスターズのレースに出たのは4・5回目からであったように思う。

まだ泳ぎがぎこちなく何とも重い泳ぎでギッタンバッタンと評するに値するかと思われる。

同行のコーチが何ともひどい泳ぎ方の泳者がいるもんだと見ていたら当方だったなんて嬉しくもない批評聞いたもんである。

ただその当時は25mのバタは結構出場者がいたが50mとなると殆ど出てこないと言う大穴場であった。

おかげでそんな泳ぎながら初めてメダル手にすることが出来それからバタフライにのめりこんでいき、もちろん泳ぎも変わっていきタイムも上がって行った。

その初めての50mのバタフライ、確か52秒1もかかったように思う。
次の大会では10秒短縮できたし、その次には38秒台出ていたから長足の進歩出しそれだけ練習もした。

その内25・50のエントリーが50・100や200があれば200にエントリーするようになって、結構勝てることが多くなった。

尤もその程度のタイムで優勝できるならと、昔学生時時代にバタフライで跳んでた連中さんガ出てくるようになって1時期優勝さらわれることが出てきたが、流石に200は独壇場でまず負けることが無かった。

尤も出場者もあまり出てこないと言うこともあったかtらかも知れない。

その頃には関西の大会だけではなく1人で東京の毎日マスターズや、名前忘れたが50mプールを二つに仕切って大会行われていたようなところでも出場していた記憶がある。

もちろん東京だって200mバッタは負けなかったように思う。

尤も昨今は相当レベルもパがっているからそんなうまい話はなかろうと思うが。

但し200メートルバタフライの出場者が増えたきっかけは日本での第1回の世界マスターズずであったように思う。

もちろんその前に日本マスターズが生まれ代々木の50mプールで大会が行われるようになった。

その時始めてフリーの400メートルのレースがあり、フリーだから何だってよかろうとてバッタで泳ぐことにした。

コーチもっと遅いエントリータイムで申し込んでくれていたら問題なかったんだが、フリーでのそこそこのタイムで書いてくれたもんだからクロールで泳ぐ連中に付いていけない。

さすがに400mでは差が付いてしまう、と言って400バタなんてそうそう機会ある訳でなし、無理やり強行することにした。

差をつけられながらも止めもせず泳いでいるもんだから、観客は手を叩いてくれているのが分かって大いに張り合いがあったものである。

但し泳ぎ終わって役員すぐ走り来たって「大会運営が遅れて大いに困る」と文句言われた。

このときも100は3位だったが200は1位だったように思うがタイムまでは覚えていない。

というような訳でいつの間にかバタフライで名前売るようになったが中年から習いだしたバッタとこぎり早いと言う訳でもなく、早晩昔バッタで鳴らした選手がマスターズに出てくるまでのつなぎの存在であったかも知れない。

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水泳再開とマスターズ水泳

最初のころの話は、31、泳ぎの環境で触れた。

社会に出てからは長らく仕事に追われて何もしていない。

たまに夏に2・3度琵琶湖や福井の海に行く程度でごくたまには温水プール見つけていく程度。

ところがひょんなきっかけで運動することになった。

息子が幼稚園に行って、運動会で父兄のリレーに駆り出された。

ところがもう少しましに走れるかと思ったが学生辞めて10年にもなると体力の貯金完全に亡くしていた。

それがきっかけで走り出し、エスカレートして何年後かにフルマラソン走るようになっていた。

福井の陸連公認のマラソンで3時間20分まで行って、3時間きれば別大マラソンなんて目標持っていたものである。

ところが参加者年々増えて3時間の制限タイムが2時間50分に変わって出場の希望いっぺんにしぼんでしまった。


ちょうどそのころ近くに出来たショッピングプラザに温水プールが併設されマラソン諦めてスイミングクラブに通うこととなった。

たぶん34・5歳のころだったかと思う。

しかし長いブランクで昔高校のころ出していたタイムととんでもなくかけ離れたタイムに驚いたものである。

2年ぐらいたったころかと思うがスイミングクラブ協議会の主催で大阪でもマスターズ水泳が始まり、そのころ多少ともタイムが戻りつつあったこともあり、その第2回目から参加してみた。

勿論当時子供の大会は早くからあったが大人対象はそのときまでなかった。

50メートルと100メートルに出たように思うが記録どんな程度かきおくにない。

ただメダルもらった記憶がないから4・5番目あたりだったように思う。

そこからマスターズの水泳大会が目標になったことは確かで、練習も熱が帯びだした。

当初、大会で目標にしていたのはあくまでクロールでそれ以外の平泳ぎで出るなんて考えもしなかった。

勿論背泳やバタフライなんて泳げなかったから考えることもなかったのである。

当時未だ大会そうあるわけでなく半年に一度程度のように記憶している。

それで半年必死に練習して出かけていくんだがいつも同じように相手のタイムも上がって中々メダルに手が届かなかったように思う。

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4泳法・各4×100m

昨日、本夏最後のプールに隣町まで行って来た。

当プールは夏休み期間のみの一般開放故、8月31日が最終日と言うことになる。

来ていたのは小学生が4名と、アメリカ人の英会話教師のみ。





だからいつも通り1500背泳だって十分泳げた訳だが、今夏最後と言うこともあって4泳法の50mでのストローク数の確認をすることにした。


まずバタフライからやり出したが、ゆっくり大きなストロークで泳ぎ出したんだが最初の2本は100mまで持たずに50mで一息入れての繰り返し。

何んともスタミナが持たない、8時間バタフライ泳どこに行ってしまったのか歯がゆいところがある。

マァそのころからすでに30年は経ってるんだからある程度は止むをえない。

後の2本だけは辛うじて100m持っただけ良しとせずばなるまい。

あと2年もすれば後期高齢者の仲間入り、気持ちだけ若いころのままであっても体のほうが付いてこないようである。

それに永らく水泳のトレーニングから離れていた訳だから今年少々泳いだからとてブランク埋めるところまでは行っていないようである。

ストローク数は25,23と来て最低21まで減らすことが出来たが20は切っておきたかった。

次に100メートル背泳4本。

50mでのストローク数、本日は最低42.

バッタと違ってこちらは1500m背泳なんて泳いでいたから100m4本なんてまったくのところ問題なし。

シーズン初めと違ってえらい変わりようである。

そのままクロール100m4本。

クロールはもともといつ泳いでも1500mは出来ているからやはり最も楽な泳ぎのようである。

ただ背泳の癖が身についたようでストローク数も背泳とまったくおなじの42。

こちらは30から悪くとも35程度には抑えたかったが、そんな泳ぎ方がまだ身についていないようだ。

来年には身につけてみたい。

最後に100m平泳ぎだが、これはバッタと逆に最初の2本は100m持ったが後の2本は50mで一息入れずには持たなかった。

バッタは多少分からんでもないが平泳ぎでここまでスタミナ落ちているとは思わなかった、

冬の期間に陸トレでスタミナアップ図る必要がありそうである。

ストローク数のほうはバッタより少し悪くて22.

プルはともかくキックがあまり効いていないようである。

ともあれ一応のストローク数確認したので今後の目安になろう。

タイムも計れたらよかったろうが、そこまでのスタミナとてもありそうでない。

マスターズ水泳に復帰して出るのであれば、もっと練習時間が必要だろうからまだまだ当分無理のようである。

今しばし大きなストロークできれいな泳ぎ取り戻すことのほうが先決のようである。

当地には以前も書いた通り35キロ離れた所までスイミング無いから夏場以外定期的に練習は無理で、昨日をもって練習終了と言うことになる。

ただすぐ近くのビーチではまだしばしオープンウオーターでの泳ぎはできようから全く水と無縁と言う訳ではないが。

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4×400メートル背泳

ここしばらく畑に出るんだが、目下水泳ボランティアで遅れた畝つくりがメインの仕事。

秋物植えるための畝つくり 急がねばならぬ。

ところが暑さのせいかどうも疲れるのが早い、鋤振るっているとすぐに氷溶かした水に手が出る。。

年もそこそこ食っているだけに暑さばかりのせいとも言えぬところがありそうである。

それに畑帰ってから家のかたずけで余計疲れ貯めたのかとも思われる。

疲れのほぐしを兼ね、水泳ですら疲れが出るのか試しに隣町の50mのプールに泳ぎに行って来た。

さすがにこの時期にもなるとプールに来る物好きも減るようである。



前回泳いだ時に最後にストローク数 測ったら50であった。

今回これをどれだけ減らせるか試すことにした。

それで1500m背泳でなく、途中試行錯誤できるように400mを4回泳ぐことにした。

最初の400では48から54で推移。

次の400では最低が46と短縮できたが少し気を緩めるとやはり54ぐらいまで戻ってしまう。

3本目になって42まで短縮でき上も47までに収まってきた。

4本目は41から53ストロークと最小が出たがまだまだばらつきが大きい。

ストリームラインがうまく出来たときはやはり短縮出来る。

それとまっすぐ泳げづ、プールサイドに腕が触れたりすると、そこでスピードが落ちて大幅にストローク増やしてしまう。

安定してストローク減らすためにはまっすぐ泳げることが第一かも知れない。

でも少し前まで背泳で泳ぐことすら避けてきていたし、ストローク数なんて眼中にもなかった訳だから,これは大いに進歩して来たと言えよう。

それに泳いでいる分には息切れする訳でもないことが分かって、少々安心。

どうも暑さに大いに痛めつけられているようだ。

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再び1500m背泳

先日生涯初めて1500m背泳、曲りなりにおよいでみたら完泳出来た。

但し55分ばかりかかっているからいかにチンタラチンタラ泳いでいるかわかろうもんである。

一つにはなれぬ泳ぎながら50mプールでのことも大いに関係ありかも知れぬ。

とにかく反対側のプールサイドまで中々着かない、25mプールならいかに楽かと思ってしまう。

前回のトライ、最初から1500mいく気でなくせめて500か1000mは泳いでみたいが、結局1500m泳げてしまったという訳である。

それで今回は初めから1500m狙いで、タイムも少々は短縮して見ようとて再度トライ。

それに泳ぎなれることでジグザグのコース取りの矯正と楽な泳ぎに早く慣れるためにも。


けっかを端折って言うと、相変わらずジグザグ治った訳ではないが、やはり日にち薬で随分ましなようである。

まっすぐ泳げてこれは安心なんて思っているとすぐ曲がりだしたりするからまだまだで今後とも矯正に苦労はありそうである。

手を伸ばして入水後なおかつもうひと伸びさせて、ストリームラインの維持考えながら泳いでいたおかげで最初に比べたらずいぶん楽になってきているようである。

但し50m泳ぐのに50ストロークかかっている。

これが40ストロークとか35ストロークまで減らせることが出来れば随分泳ぎよくなろうから今後の目標としよう。

結局多少は前回よりましな泳ぎに成っているのか5分ばかり時間も短縮できたようだが、元々が遅いんだからまだまだではある。


本日もプール3時ころにはガラガラで、当方以外はアメリカ人だけが泳いでいる。

彼はこの辺りの小学校や中学校の英会話教師らしく、今は夏休みで全く暇のようで毎日のように来ているそうである。

泳ぎもクロールと平泳ぎだけしか見ていないがなかなかのもんである。

管理人の爺さんに言わせるとスタミナ抜群であるそうだ。

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1500m背泳

昔から一つの泳ぎで連続1500m泳げたことは自分にとってその泳ぎをマスターしたことであった。

クロールはその昔の高校時代。

1時限目をキャンセルしてプールに行ったら誰もいずこれ幸いと泳ぎ出してそのまま1500mクロールで泳いでしまった。

もともと平泳ぎしかできず、丁度その当時クロールの練習に明け暮れていたが長距離泳げるとは思っていなかった。

それ以後クロールに自信がついたことは言うまでもない。

バタフライはもう30年近く前、第1回のチャレンジ24時間泳の時、1コースあけて貰ってバタフライで当時のギネス記録16キロを破れるか挑戦した時である。

結果的には8時間がかりで17キロ泳いで止めた。

それまでも当時なんでもバタフライで練習していたから、ひょっとしたら1500メートルぐらいは練習中にクリヤーしていたかもしれないが正式にはその時である。

その後も琵琶湖の横の12キロバタフライで泳いだり、24時間泳のリレーで1時間を4回泳いだりしたときバタフライで2.8キロや2,7キロ泳いでいるから1500バッタなんて数えられないほどありそうだ。

ところが平泳ぎと背泳は長距離泳とは全く無縁であった。

ただ平泳ぎはたぶんやれば出来るという感覚はずっとあったが、背泳は全く金づち同然。

やっと最近になって練習中の総距離が1500mになったり一昨日のように100バック14本なんてことができだしてきた。

それで昨日、客がらすき良いことにして1500m背泳に挑戦してみた。



今回は一番端のコース使って曲がれば即気がつくようにして泳いだ。

相変わらずジグザグコース取りながらではあるがそれでも何とか泳ぎ続けることが出来た。

流石に終番はずいぶん泳ぎなれた感じでいけたが、と言ってスピード上がったとも感じられないのが残念と言えば残念。

それでも片手を前に出した時点でグイっと伸びたいもんといろいろやってみたがなかなかその感触まではいかない。

マァなにはともあれ1500メートル背泳達成できただけでも素直に喜んでいよう。

最後にクロールで流して今日の合計1600m。

長距離背泳の後だけに、クロールの体重移動が何となくわかるような気がする。

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お盆開けのプール

お盆の最中に日置のプールに行って閉口した。

もちろんその時はすさみのビーチだってパラソル・テントがいっぱい。

しかし今日はほんの数えるほどだから、日置のプールだってすいてると踏んで行った。



大体プールと言うものは25メートルでも横に泳ぐ輩が多いのにこの日置のプールは50mと来ているからほとんど縦に泳ぐ者がいない。

しかしながら管理人の爺さん、今日は行けるでと言ってくれる。

それで縦に泳ぎ出す。

もちろんバックの練習に来ている訳だから、ゆっくり泳ぎ出す。

来るまでは泳ぎ慣れするために、1500か2000mは連続で泳ぐつもロでいたがやはりなれぬ泳ぎを50mプールで泳ぐもんだから100mづつ一息入れないともたない。

それにも一つ問題はそこの白線見えないもんだからまっすぐと泳げない。

右のかきと左のかきがバランス取れていないようである。

確かにクロールだってプールで泳ぐ分にはまずもっていがむなんてことはない。

しかし海で泳ぐとたまに前方確認しないとどちらに向かっているか分からず、目的地から外れてしまうことがあるからバックでまっすぐに行けなくとも不思議ではない。

コースロープでも張ってあれば多少是正もされようが、そんなものはない故3コースから5コース行ったり、4コース泳いでいるつもりが6コースに向かってあわててコースの強制したりせねばならぬ。

と言うような訳で100メートルごとに矯正しなければどこを泳ぐかわかったもんでない。

まずもって目をつぶっていてもまっすぐ泳げるようにしなければ練習にならない。

もう一つは目下のところ型にとらわれて泳いでいるもんだから、何せ時間がかかる。

だから思ったほどに距離が稼げない。

今日だって100m14本で終わってしまった。

これが50mなら30本以上行っても時間ずっと少なくて済みそうである。

クロールならそれほど疲れもせずに続けれそうだがバックとなると話は別である。

まだしばし泳ぎ慣れが必要のようである。


管理人の爺さん、先日の田辺西牟婁郡水泳大会で頑張った日置の小学校の子を教えてくれた。

田辺のスイミングに通う子たちで、バックで3位、フリー1位の子共たちである。

もう大会から解放されたからか浮輪持ち込んで遊んでいる。

バックの子は爺さんの孫だそうだ。

こんな子がいればフリーリレーだってメドレーリレーだって大いに盛り上がるだろう、来年はぜひとも育て上げたいものである。

まずはバッタ1位からである。

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お盆のプール

すさみのビーチ見て来たから、多少は覚悟していた。

すさみの穴場のビーチですら、ピーチパラソルや海浜用の簡易テントの花が咲いていた。



だからいかに日頃ガラガラの日置のプールだって盆休みだけは別である。

やはり都会からの里帰りの子供連れがきている。



50m方向に泳ぐのはまず無理と見たが、と言って18mの横では何とも半端である。

本日バックの練習したくて来たんだが、バックでは衝突避けようがないのでクロールと言うことに変えた。

クロールで100mを何回かやってると自然とそのコースの分だけ穴があいたように空間できてくれるが、やはりこの様に込んだ時期には無理しないでおこうという訳で7・8本泳いだところで止めにすることにした。

上がって管理人の爺さんと話をしていると、先日の郡の水泳大会のはなしになった。

実は爺さんの孫出ていたそうで、50mのバックに出場。

ホントは4位だったらしいが、1位が泳法違反で富んだおかげで3位に繰り上げになったそうである。

確かに泳法の判定でオオもめにもめていたようだが、結局泳法違反にしてしまったようである。

30分以上も決めかねてもめていたようで、こんなローカルの大会で目くじら立てることもなかろうと目をつぶってさっさと進行して貰いたいものと思っていた。

いろんな先生方マイクで呼び出して揉めていたようで、審判長さっさとどちらかの裁定くだしていたらこんな無様なことにならずとも済んだにと大いにあきれ返った。

でも違反になったおかげで4位が3位になった生徒にとっては大いに有難かったことだろう。

今度来るときは盆が開けてすいてからに使用、でないとせっかく練習に来ても練習にならない。

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水泳歴と水泳練習

当方水泳練習と言えば以前はプールと決まっていた。

もともと水泳は嫌いじゃなかったし、生まれ育った町が三方取り囲むように川で囲まれた町であった。

そのため子供のころから川遊びは普通で、毎年何名かの小学生や中学生が溺れ死んでいた。

もちろんまだ戦後の混乱期が続いていて通っていた小学校や中学校にプールなんて贅沢品はなかった。

プールに出会えることになったのは高校に行ってからである。

その高校大阪で最も古い高校で、戦時中に現在の地に移ったころ皆の勤労奉仕でプールが作られた。

だから本来鉄筋のところが物資不足で竹が使われていたそうであるが、定かではない。

50mの大きなプールだったが、50mにわずか足りないとかで公認プールとならず、学生の大会すらそこで開かれることはなかった。

その当時は扇町公園に大阪プールがあり大きな大会はすべてそちらで行われた。

今はそこから弁天町に移り、また門真になみはやドームが出来ている。

だから本格的なプールでの練習は高校からと言うことになる。

尤も水泳部に籍おいて本格的にしていた訳でなく、たまたまクラスに水泳部員が多くいたため一緒に泳がせて貰っていただけのことである。

ただ3年の6月頃籍おくのも何かと便利で良いかと入部に行ったら3年の追い出し会5月にしてしまったので不可。

さすが進学校の面目躍如。

しかしながら後年、琵琶湖や日韓海峡泳ぎに行ったりした関係でいつのまにか水泳部OBのはしくれに繰り込まれることとなった。

もっとも最近は当地と遠くもありで寄り付いていないので皆さんの消息はつかめていない。


目下の水泳練習は場所が2つ。

もちろん小学校に押しかけボランティアで教えに行った訳だから、小学校を入れれば3つと言うことになるが、教えに行ってると存外自分の練習できぬもんである。

1つはすぐ近くのすさみビーチであるが、流石に海だけに競泳の練習はやりにくい。



片道300mほど沖に1文字波止がありそこまでの往復がオープンウオーターの泳ぎ忘れぬための練習場。

そこまで泳ぎに来るもの誰もいないので邪魔が入るということはないんだが、たまに磯渡しの船やクルーザーガ進路横切ったりそば走って波かぶされたりなんてことはたまにある。

昔は小学生でもひと夏に一度は遠泳で泳がせたらしいが、今は言い出すものとてない。

先日またやればって言い出したら、何か起こったら怖いからとてもやれないという返事が返ってきた。

皆がそのようなこと言っていたら、ひ弱な子を育てることになると思うんだが。

大阪の小学生でも琵琶湖の横断連れて行ったり、24時間リレー泳に小学生の参加受け入れたことのある当方としては何とも歯がゆい事である。

都会はるか離れた田舎においても、皆が異常にぴりぴりしているようである。

競泳や泳法の練習には、隣の白浜町に編入された日置にある50mのプールである。



午前中は日置の小学校や中学校に使って午後から一般開放。

小学生・中学生は只、高校生が50円で大人は100円。

たまに家族連れがいたりするが、土日外せばほとんど人がいない。

独占状態ってことすらあるが、プールの中ジェットスキーで走る訳でもないから、たった一人で独占と言ってもそう有難くもない。

1コースあけてくれさえすれば良いだけのことである。

然しながら、正直50mプールは長距離流すなら別だが持て余し気味。

以前ならバッタだって1時間ぐらい連続で泳いだりしたこともあったし、琵琶湖横に12キロ泳ぎ渡ったり、17キロ泳ぎ続けたり

したこともあった。

所がずいぶん永らく本格的に泳がなくなって久しい。

ソウルオリンピックの年に日韓海峡横断泳に挑戦なんて言ってる頃の練習はずいぶんしていたものである。

日曜ごとに福井の海に行ったり、スイミングのプルで飽き足らず、市の中学校の50mのプール借りて泳いでいたり。

ところがその挑戦54キロのうち43キロ地点で潮に流され釜山につけないことが判明、中途でギブアップ。

それから燃え尽き症候群でほとんど練習から離れてしまった。

琵琶湖縦断ですら54キロ完泳に3年かかったことを思えば1年で成功なんてよほど潮のめぐりに恵まれなければ無理と言うもので、案外簡単にあきらめてしまったものと今なら思える。

但し国内と違い外国に泳いでいくには何かにつけて費用がかかるのも事実。

却ってドーバーのように確立されているほうが手軽かもしれない。

話が脱線した。

目下のところ苦手のバックの克服何である。

こういうのはやはり海よりプールが良いと思える。


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最後のプールでの水遊び

先週の金曜日、田辺・西牟婁郡水泳大会も無事終了。

惜しいところで決勝進出逃したものの、自己記録大幅に短縮。

昨年の記録なら4名も決勝残れたタイムまで到達、やり始めのこと考えたら驚くほどの進歩。

尤もそのあたり狙って指導に当たった訳だが、天候にたたられた中生徒たちも良く頑張ってくれた。


本人たちも、レース当日は記録伸びてることもあって満足感が漂っていたようである。

ところがレース終わってしばらくたってくると、惜しいところで大魚釣り損ねた気分を味わっているようである。

レース前日にやっておきたかったことをしてみて、最後にエントリー種目でもう一度計ってみておきたかったが、子供たち本日完全に遊びのムード。

と言うことでやめにしておいた。



レースの講評と各自のエントリータイムと当日のレースでのタイムの短縮タイムを発表。

一番短縮は50mで18秒、100m換算なら36秒、これは当分破れそうにないかもしれない。

バッタの50mで18秒も短縮したO子にはメダルあげておいた。

もともと行きのバスの中で決勝進出者の中で最も順位上の者にあげると言って見せておいたメダルである。

もとは24時間リレー水泳の完泳賞の余り物で、大いに役立ってくれた。

残念ながら誰も決勝残れなかった故、最もタイム短縮したものにあげることにした。

9位で決勝逃したO君の残念がること残念がること!

もう一人抜いていれば文句なしに自分が手にできたはずだから猶のことである。

O子 まだ5年生だけに来年は優勝争いとハッパ掛けておいた。

先生が子供たちのためにスイカを持ち込んでプールサイドでたべる。



雨続きの間ぬっての入水、雨がひどくなり出したので上がることに。

今日は彼らのために父兄からの差し入れもあったらしい。


こちら校長さんと話。

今回の皆の活躍ぶりに大喜び。

特に日頃運動で活躍できていない子供が何人か記録伸ばして水泳の楽しさ味わったことにことのほか喜んでいた。

極端にいえばこの子たちの生涯の中での初めての経験味わうことが出来たということで礼を言われた。

確かにずいぶん最初泳ぎなおすのに手こずったのは事実だし、大会までに正式にエントリータイム切らせることが出来るか心配もした。

でも泳ぎよくなるにつけどんどん記録伸びてくれて、最後は本人たちも自信もって大会に臨めるまでに成長。

当方と一緒になって特練付き合ってもらえた先生方の力でもある。


なんでもエントリータイムとレースのタイム、当方がつけておいた分先生に渡してもらうようコピーしてもらったが、それ見て校長さん何かの発表会で使いたいと言い出した。

大いに利用してもらいたいものである。


あと提案が一つあり話しておいた。

それは折角こうして練習して記録伸ばしてきた6年生が、中学校に上がると、中学校にはプールが無く水泳が続けられなくなることである。

近くのすさみの中学校にはすさみの小学校から進む故中学生と言っても、すべて小学校のOBと言うことになる。

それゆえ何らかの形で彼らに泳げる機会作って、郡の水泳大会のリベンジのチャンスを与えてやってほしいということで、練習見るものがいなければ当方見てもよろしかろうと提案。


それと来年度、よりすさみの子供たちが活躍できる練習体制お願いせねばならぬが、こちらは21日に先生方との反省会かねた飲み会計画されているようなのでその時に話そう。

でも本年押しかけボランティアで授業の手伝いから入って、特練こちらの指導でやらせて貰い、ずいぶん学校の水泳の体制ひっかきまわすことになった。

子供たち大いに記録伸ばしてくれたから面目保つことになったがそうでなかったらずいぶん違ったことになりそうである。

ただ時間の少ない中なんとかタイムあげる一番は泳ぎよくすることと言う当方の信念が間違っていなかったのは事実。


でもこれで皆の中に水泳すさみの名を揚げてみたいの気持が湧き上がってきたのは確かと思われる。

21日の集まりどのような盛り上がりになるか興味深々である。

願わくは、水泳が当校の強化種目となり、今は希望者のみの特練・水泳大会の参加を 全員参加にしてもらいたい。

今年運動に弱かった子供たちが味わえたことの再現をしたいものである。

そしてスイミングに頼ることなく学校水泳の理想の姿追いたいものである。

郡の水泳大会 5・6年全員参加で出来れば4年生は応援で見に行く、そして父兄にも大いに応援してもらい、大きな学校行事と位置付けられればこれは楽しいやりがいのあるボランティアになろう。

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プロフィール
HN:
がくさん
性別:
男性
趣味:
遠泳 工夫・発明
自己紹介:
ボランティア・学校水泳応援団
体協・水泳上級指導員
日本遠泳協会・遠泳道5段
琵琶湖縦断泳54キロ・横断泳多数、バタにても完泳
日韓海峡挑戦(43/53キロ)
24時間テレビにて24時間完泳
8時間連続バタフライ・17キロ泳
鳥人間コンテストに7回出場・ヘリ部門2位
フルマラソン5回完走
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